第6、第7の哨戒 1944年9月 - 1945年1月とは? わかりやすく解説

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第6、第7の哨戒 1944年9月 - 1945年1月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 14:13 UTC 版)

レイポン (潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1944年9月 - 1945年1月」の解説

9月4日、レイポンは6回目哨戒フラッシャー (USS Flasher, SS-249) およびボーンフィッシュ (USS Bonefish, SS-223) とウルフパック構成し南シナ海向かった9月21日朝、レイポンは病院船発見したが、当然ながら攻撃するわけには行かず見送ったその日午後、レイポンはいくつかの煙を発見し輸送船団判断してこれに向かった目標である輸送船団であるマタ27船団に近づいたとき、第38任務部隊マーク・ミッチャー中将)から飛来してきた航空機マタ27船団攻撃し、全船を撃沈してレイポンの出る幕はなかった。翌9月22日、レイポンは北緯15度28東経11848分 / 北緯15.467度 東経118.800度 / 15.467; 118.800の地点マタ27AあるいはB船団発見し魚雷を6本発射魚雷陸軍輸送船順源号(満州海運、1,610トン)に命中してこれを撃沈した9月27日には北緯15度45分 東経11749分 / 北緯15.750度 東経117.817度 / 15.750; 117.817の地点ミマ11船団発見しフラッシャー協力して攻撃したフラッシャーが8時27分にうらる丸大阪商船、6,375トン)を撃沈した後、レイポンもその2時間後に北緯15度50東経11741分 / 北緯15.833度 東経117.683度 / 15.833; 117.683の地点魚雷を6本発射し応急タンカー北喜丸(北川産業、5,599トン)に命中させて撃沈した。レイポンはルソン島沖で哨戒続け10月5日午後に新たな輸送船団発見。しかし、護衛艦の隙をうかがうも、上空哨戒していた九六式陸上攻撃機威嚇のためしばしば降下してくるので、攻撃機会逸した10月10日には北緯1610東経11945分 / 北緯16.167度 東経119.750度 / 16.167; 119.750の地点タマ29船団発見し魚雷を4本発射陸軍輸送船江尻丸(日本郵船、6,968トン)の右舷魚雷が2本命中し江尻丸は大火災発生して付近浅瀬座礁する同時に爆発起こした上、夕刻沈没したその後は、ルソン島各地空襲する第38任務部隊機の援護任務従事し10月21日まで同海域とどまった10月31日、レイポンは56日間行動終えてフリーマントル帰投した。 11月23日、レイポンは7回目哨戒ルソン島近海向かった日本軍レイテ島ミンドロ島増援部隊送りこむため、その阻止をするため念入りに見張った。しかし、航空機はよく発見したものの敵船はあまり発見できなかった。12月18日、レイポンは煙を発見するが、よく観測してみると相手病院船だった。病院船見送った直後北緯14度08東経11803分 / 北緯14.133度 東経118.050度 / 14.133; 118.050の地点でレイポンのレーダー複数目標探知戦闘配置令して目標追跡し日付12月19日変わった直後魚雷を6本発射直ち反転して魚雷3本発射し、やがて閃光見えたものの戦果はなかったと判定された。その後、レイポンはアメリカ軍の上陸予定地点であるリンガエン湾偵察し1945年1月4日針路サイパン島タナパグ港英語版)に向ける。2日後寄港地はグアムアプラ港に変更され1月10日到着した1945年1月21日、レイポンは56日間行動終えて真珠湾帰投4日後にメア・アイランド海軍造船所回航された。1月31日到着しオーバーホールに入る。4月22日オーバーホール終わったレイポンは真珠湾到着し1カ月滞在した

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第6、第7の哨戒 1944年9月 - 1945年1月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:50 UTC 版)

ホー (潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1944年9月 - 1945年1月」の解説

9月15日ホー6回目哨戒でカブリラ (USS Cabrilla, SS-288)、アスプロ (USS Aspro, SS-309) とウルフパック構成しルソン島方面向かった10月7日未明ホー北緯1730東経11952分 / 北緯17.500度 東経119.867度 / 17.500; 119.867のルソン島ビガン西北西55キロ地点タマ28船団発見魚雷を4本発射し、うち2本が船団先頭輸送船命中してすさまじ爆発起こしたホーはさらに魚雷3本発射し、1本を中型輸送船命中させて撃沈した。この攻撃陸軍輸送船マカッサ丸(南洋海運、4,026トン)を撃沈したとされた。翌10月8日未明には北緯1742東経11755分 / 北緯17.700度 東経117.917度 / 17.700; 117.917の地点別の輸送船団発見し船団後方の2隻の輸送船に対して魚雷を6本発射、1本が命中した判断された。同じ日の夜に北緯1830東経11615分 / 北緯18.500度 東経116.250度 / 18.500; 116.250の地点マタ28船団発見し船団先頭の2隻の輸送船に対して魚雷を6本、約40分後の23時25分に別の大型輸送船護衛艦に対して魚雷を5本それぞれ発射魚雷23時25分の攻撃による4本のうちの1本が陸軍輸送船湖北丸(大阪商船、2,578トン)に命中して撃沈した10月22日ホー37日間行動終えてフリーマントル帰投艦長マイルズ・P・レィフォ3世少佐アナポリス1938年組)に代わった。 11月23日ホー7回目哨戒フラッシャー (USS Flasher, SS-249)、ベクーナ (USS Becuna, SS-319) とウルフパック構成し南シナ海向かった12月2日未明ホーレーダーより目標を探知するが、その方角を観測すると、その目標は「セントエルモの火発していた」1,500トンタンカーであった明け方近く南緯0632東経11149分 / 南緯6.533度 東経111.817度 / -6.533; 111.817の地点魚雷を4本発射し、うち2本が命中した判断された。30分後にもう3本発射した命中しなかった。12月22日には、北緯11度01東経10930分 / 北緯11.017度 東経109.500度 / 11.017; 109.500の地点大型タンカーに対して魚雷3本発射したものの、命中することはなかった。1945年1月1日朝、ホー北緯10度25東経11420分 / 北緯10.417度 東経114.333度 / 10.417; 114.333にある南鑰島に対して3インチ砲と40ミリ機関砲による艦砲射撃実施した1月13日ホー50日間行動終えてフリーマントル帰投した。

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