リンガエン湾とは? わかりやすく解説

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リンガエン湾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 02:57 UTC 版)

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リンガエン湾の位置

リンガエン湾(リンガエンわん)はフィリピンルソン島西部イロコス地方パンガシナン州ラ・ウニョン州にある。幅は約37km、奥行は約56km[1]。湾の西岸に浮かぶサンチアゴ島英語版と東岸の都市サンフェルナンドを結んだ線より南の地域を指す[1]

地理

湾口は北を向いており、南シナ海に接続している。湾はサンバレス山脈コルディレラ・セントラルとの間にあり、南西にアグノ川英語版が注ぐ。湾内には多数の島があり、ハンドレッドアイランズ国立公園英語版が有名である。湾内は大型船の寄港に適した良港に恵まれている[1]

湾に面した都市はパンガシナン州の州都リンガエン英語版ダグパン英語版、サンフェルナンド、アラミノス英語版などがある。マニラとリンガエン湾岸地域を結ぶ鉄道、国道3号線が開通して以降、過去に栄えていたダグパン、スアル英語版などの港湾都市は衰退していった[2]

産業

リンガエン湾での主要な産業は漁業製塩である。

歴史

ハンドレッドアイランズ国立公園

スペイン船の来航以前、リンガエン湾は中国商人の交易の場となっていた[2]。1590年に建設されたダグパンはリンガエン湾一帯最大の都市に発展する[2]

米比戦争では、1899年11月11日サン・ハシントの戦い英語版の舞台となる。

第二次世界大戦において、1941年12月22日に本間雅晴指揮する日本軍がルソン島侵攻の際にリンガエン湾に上陸した。1945年1月9日にはダグラス・マッカーサー指揮するアメリカ軍が、ルソン島侵攻の際にリンガエン湾に上陸した(リンガエン湾上陸英語版1945年1月6日 - 1月9日)。

脚注

  1. ^ a b c 中島「リンガエン湾」『世界地名大事典』8巻、1432頁
  2. ^ a b c 田中「リンガエン湾」『フィリピンの事典』、370頁

参考文献

  • 田中定仁「リンガエン湾」『フィリピンの事典』収録(同朋舎, 1992年4月)
  • 中島章子「リンガエン湾」『世界地名大事典』8巻収録(朝倉書店, 1974年4月)

リンガエン湾

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 03:36 UTC 版)

マニラ・ベイ (護衛空母)」の記事における「リンガエン湾」の解説

オルデンドルフ中将艦隊スリガオ海峡を西航しミンダナオ海抜けてスールー海入った。これに対す神風攻撃1月4日から本格的に始まり手厚い空中援護があったにもかかわらず神風特攻旭日隊彗星2機)、一誠隊(隼2機)、進襲隊(九九式襲撃機1機)が艦隊攻撃そのうち旭日隊彗星1機がオマニー・ベイ (USS Ommaney Bay, CVE-79) に突入オマニー・ベイ激しく炎上し20分後には総員退艦が令されて艦を放棄することとなり、弾薬引火して激し爆発起こしたオマニー・ベイは、駆逐艦バーンズ (USS Burns, DD-588) の魚雷により沈められた。 神風攻撃1月5日にも行われた。この日も空中哨戒戦闘機出動させ、多数神風撃墜し午前中終わった16時50分、この日三度目神風攻撃始まって戦闘配置令された。空中哨戒戦闘機はここでも多数神風撃墜したが、生き残った3機の神風重巡洋艦ルイビル (USS Louisville, CA-28) 、護衛駆逐艦スタフォード (USS Stafford, DE-411) およびオーストラリア重巡洋艦オーストラリア (HMAS Australia, D84) にそれぞれ命中した17時50分の少し前、ついに2機の神風マニラ・ベイ命中した。1機は艦橋後方右舷部から操舵室命中し格納庫レーダー破壊した。もう1機は飛行甲板エレベーター付近に命中した神風突入により格納庫アヴェンジャー2機が炎上し始めたが、防火体制十分だったので大事には至らなかった。マニラ・ベイ24時間以内応急修理完了し、リンガエン湾への上作戦が行われた1月9日までには全力発揮可能な存在にまで回復したマニラ・ベイ14名の戦死者51名の負傷者出した。フイットシュー・リー艦長は、戦時日誌においてマニラ・ベイ突入した神風を「見事だ」と賞賛し、2機のうちの1機の残骸から、戦死したパイロットが自らの身分を示す手帳日の丸入った紙入れ確認した戦列復帰したマニラ・ベイは、火力支援部隊空中援護提供するとともに、リンガエン湾からバギオ通じルソン島西部あらゆる地域への攻撃航空機104出動させ、日本軍砲台建築物軍用トラックに対して爆撃機銃掃射行い、リンガエン湾およびサンファビアン(英語版地域上陸した味方部隊援護行った1月17日マニラ・ベイ輸送船団とともにリンガエン湾を離れレイテ島ウルシー環礁真珠湾経由して2月15日サンディエゴ到着し4月末まで損傷修理行った

※この「リンガエン湾」の解説は、「マニラ・ベイ (護衛空母)」の解説の一部です。
「リンガエン湾」を含む「マニラ・ベイ (護衛空母)」の記事については、「マニラ・ベイ (護衛空母)」の概要を参照ください。

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