第6、第7の哨戒 1945年4月 - 8月
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「マスケランジ (潜水艦)」の記事における「第6、第7の哨戒 1945年4月 - 8月」の解説
5月10日、マスケランジは6回目の哨戒で台湾近海および東シナ海に向かった。この哨戒では、沖縄を空襲する第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)の艦載機や、台湾および中国大陸の要所を空襲するフィリピンからの爆撃機に対する援護任務を主任務とした。5月23日、マスケランジは1艘のジャンクを発見し、浮上して40ミリ機関砲で射撃を行ったところ、相手は青天白日旗を掲げ、さらに調査してみるとクルーは全員中国人だったため解放した。この哨戒では戦闘行為はなかった。7月2日、マスケランジは52日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 7月31日、マスケランジは7回目の哨戒で千島列島方面に向かった。8月8日午後、マスケランジは北緯46度41分 東経151度43分 / 北緯46.683度 東経151.717度 / 46.683; 151.717の地点で濃霧の中を小型船で構成された船団を発見。ところが、小型船の中に機銃を装備していたものがあり、マスケランジは返り討ちに遭った。艦載砲の射手の一人が戦死し、ほかに2名の水兵も負傷してマスケランジの艦体にも若干の損傷があった。マスケランジは魚雷まで発射して攻撃し、海上トラック2隻を破壊したが、撃沈までには至らなかった。マスケランジは北緯45度00分 東経149度04分 / 北緯45.000度 東経149.067度 / 45.000; 149.067の地点で終戦を迎え、しばらく択捉島近海で哨戒を継続した後、8月31日に東京湾に到着。9月2日に戦艦ミズーリ (USS Missouri, BB-63) 艦上で行われた降伏文書調印式に参列した後に横須賀港に入港し、翌9月3日に出港した。9月12日、マスケランジは40日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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