第6、第7、第8の哨戒 1945年1月 - 8月
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「ラッシャー (潜水艦)」の記事における「第6、第7、第8の哨戒 1945年1月 - 8月」の解説
1945年1月20日、ラッシャーは6回目の哨戒でパイロットフィッシュ (USS Pilotfish, SS-386)、フィンバック (USS Finback, SS-230) とウルフパックを構成し東シナ海に向かった。2月15日、ラッシャーは北緯25度59分 東経120度55分 / 北緯25.983度 東経120.917度 / 25.983; 120.917の地点でレーダーにより探知した船種不明の目標に対して魚雷を4本発射したが失敗。翌2月16日には北緯26度55分 東経121度03分 / 北緯26.917度 東経121.050度 / 26.917; 121.050の地点で輸送船団を発見し、魚雷を6本発射して1本を4,000トン級輸送船に命中させたと判断された。ラッシャーがこの哨戒で、この他に遭遇したのは小型監視艇、病院船、そして哨戒機だけであった。3月16日、ラッシャーは53日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。艦長がチャールズ・D・ナース少佐(アナポリス1939年組)に代わった。 4月17日、ラッシャーは7回目の哨戒で日本近海に向かった。この哨戒では主任務はパイロットの救助任務であり、戦闘といえば4月29日に北緯33度45分 東経139度20分 / 北緯33.750度 東経139.333度 / 33.750; 139.333の地点で100トンと50トンの海上トラックを40ミリ機関砲と20ミリ機銃で攻撃して撃沈あるいは撃破し、5月10日には北緯33度27分 東経139度33分 / 北緯33.450度 東経139.550度 / 33.450; 139.550の地点で1,000トンから1,500トン級の小型輸送船に対して魚雷を6本発射したが、命中しなかった。哨戒期間を通じて、ラッシャーの担当海域に味方の航空機が洋上不時着することはなかった。5月29日、ラッシャーは44日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 6月23日、ラッシャーは8回目の哨戒で台湾近海に向かった。この哨戒でも主任務はパイロットの救助任務だった。サイパン島タナパグ港(英語版)を経由し担当海域に到着したが、今回もラッシャーの担当海域に味方の航空機が洋上不時着することはなかった。7月8日、ラッシャーは配置換えの命令を受け、一旦スービック湾に入港。7月11日に出港し、台湾近海での救助任務を再開した。8月8日まで救助任務に就いた後、スービック湾に向かった。ラッシャーは8月11日にタイランド湾に向かったが、その途中で8月15日の終戦を迎えた。8月19日、ラッシャーは53日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。
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