第6、第7、第8の哨戒 1945年1月 - 8月とは? わかりやすく解説

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第6、第7、第8の哨戒 1945年1月 - 8月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/13 06:49 UTC 版)

ラッシャー (潜水艦)」の記事における「第6、第7、第8の哨戒 1945年1月 - 8月」の解説

1945年1月20日ラッシャー6回目哨戒パイロットフィッシュ (USS Pilotfish, SS-386)、フィンバック (USS Finback, SS-230) とウルフパック構成し東シナ海向かった2月15日ラッシャー北緯2559東経12055分 / 北緯25.983度 東経120.917度 / 25.983; 120.917の地点レーダーにより探知した船種不明目標に対して魚雷を4本発射した失敗。翌2月16日には北緯2655東経12103分 / 北緯26.917度 東経121.050度 / 26.917; 121.050の地点輸送船団発見し魚雷を6本発射して1本を4,000トン輸送船命中させたと判断された。ラッシャーがこの哨戒で、この他遭遇したのは小型監視艇病院船、そして哨戒機だけであった3月16日ラッシャー53日間行動終えてグアムアプラ港に帰投艦長チャールズ・D・ナース少佐アナポリス1939年組)に代わった。 4月17日ラッシャー7回目哨戒日本近海向かった。この哨戒では主任務はパイロット救助任務であり、戦闘といえば4月29日北緯3345分 東経13920分 / 北緯33.750度 東経139.333度 / 33.750; 139.333の地点100トン50トン海上トラック40ミリ機関砲20ミリ機銃攻撃して撃沈あるいは撃破し5月10日には北緯3327東経13933分 / 北緯33.450度 東経139.550度 / 33.450; 139.550の地点で1,000トンから1,500トン級の小型輸送船に対して魚雷を6本発射したが、命中しなかった。哨戒期間を通じてラッシャー担当海域味方航空機洋上不時着することはなかった。5月29日ラッシャー44日間行動終えてミッドウェー島帰投した。 6月23日ラッシャー8回目哨戒台湾近海向かった。この哨戒でも主任務はパイロット救助任務だった。サイパン島タナパグ港英語版)を経由し担当海域到着したが、今回ラッシャー担当海域味方航空機洋上不時着することはなかった。7月8日ラッシャー配置換え命令を受け、一旦スービック湾入港7月11日出港し台湾近海での救助任務再開した8月8日まで救助任務就いた後、スービック湾向かったラッシャー8月11日タイランド湾向かったが、その途中で8月15日終戦迎えた8月19日ラッシャー53日間行動終えてスービック湾帰投した。

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