第7、第8の哨戒 1944年10月 - 1945年7月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/24 20:45 UTC 版)
「ガンネル (潜水艦)」の記事における「第7、第8の哨戒 1944年10月 - 1945年7月」の解説
10月21日、ガンネルは7回目の哨戒でマスケランジ (USS Muskallunge, SS-262) とともにルソン島近海に向かった。11月8日未明、ガンネルは北緯16度09分 東経118度56分 / 北緯16.150度 東経118.933度 / 16.150; 118.933のルソン島西方海上で、輸送船団と思しき複数の目標を探知し、やがて対潜掃討中の水雷艇鷺が攻撃圏内に入ってきた。ガンネルは魚雷を3本発射し、うち1本が鷺に命中して撃沈した。11月12日には、北緯17度13分 東経116度26分 / 北緯17.217度 東経116.433度 / 17.217; 116.433の地点で「大和型戦艦」と「利根型重巡洋艦」を発見し、約4時間あまりにわたって追跡を行ったが、最終的には振り切られた。11月16日夜、ガンネルは北緯16度30分 東経110度14分 / 北緯16.500度 東経110.233度 / 16.500; 110.233のルソン島バタンガン岬北東230キロの地点でミ20船団を発見し接近の上、11月17日明け方に北緯16度56分 東経110度30分 / 北緯16.933度 東経110.500度 / 16.933; 110.500の地点にいたったところで魚雷を6本発射し、2隻の目標に計5本が命中したと判断される。ガンネルは反転して魚雷を3本発射したのち一時船団から離れ、北緯17度05分 東経110度42分 / 北緯17.083度 東経110.700度 / 17.083; 110.700の地点で再度ミ20船団を迎え撃ち、魚雷を4本発射。航空機を観測しつつなおも追撃し、午後に入って北緯17度36分 東経110度33分 / 北緯17.600度 東経110.550度 / 17.600; 110.550の地点で艦首発射管に残った3本の魚雷を発射、1本の命中を確認した。一連の攻撃で特設運送船春天丸(大同海運、5,623トン)と水雷艇鵯を撃沈した。12月1日から2日にかけてはパナイ島の北西にあるマニグイン島に向かい、2カ月間の間現地ゲリラに保護されていた11名の海軍パイロットを収容し、代わりに武器弾薬を譲渡した。12月17日から18日にかけてはサイパン島タナパグ港(英語版)に寄港。12月28日、ガンネルは65日間の行動を終えて真珠湾に帰投。ハンターズ・ポイント海軍造船所に回航されてオーバーホールに入った。 1945年6月13日、ガンネルは8回目の哨戒で日本近海に向かった。7月9日10時20分ごろ、ガンネルは北緯32度40分 東経132度34分 / 北緯32.667度 東経132.567度 / 32.667; 132.567の沖の島南方11浬地点付近の豊後水道で、回天特別攻撃隊(轟隊)に参加した後光へ帰投中の伊36を発見し魚雷を4本発射したが、魚雷は外れて沖の島に命中し爆発した。その後ガンネルは、日本本土を爆撃するB-29の乗員救助任務に当たった。7月27日、ガンネルは41日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。翌7月28日に出港し、真珠湾には8月8日に到着して、そのまま終戦を迎えた。
※この「第7、第8の哨戒 1944年10月 - 1945年7月」の解説は、「ガンネル (潜水艦)」の解説の一部です。
「第7、第8の哨戒 1944年10月 - 1945年7月」を含む「ガンネル (潜水艦)」の記事については、「ガンネル (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第7、第8の哨戒 1944年10月 - 1945年7月のページへのリンク