第7、第8の哨戒 1943年3月 - 5月とは? わかりやすく解説

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第7、第8の哨戒 1943年3月 - 5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 16:57 UTC 版)

ガジョン (SS-211)」の記事における「第7、第8の哨戒 1943年3月 - 5月」の解説

3月13日、ガジョンは7回目哨戒ジャワ海方面向かった3月22日、ガジョンは南緯0623東経11243分 / 南緯6.383度 東経112.717度 / -6.383; 112.717のスラバヤ北方輸送船団発見魚雷を2本ずつ3度わたって発射し陸軍輸送船明元丸(明治海運、5,448トン)を撃沈して他の2隻の船に損傷与えた判断された。翌3月23日朝には南緯0510東経11404分 / 南緯5.167度 東経114.067度 / -5.167; 114.067の地点別の輸送船団発見するも距離が遠くて攻撃できず、3月24日未明にも南緯0625東経11348分 / 南緯6.417度 東経113.800度 / -6.417; 113.800の地点駆潜艇に対して砲撃行ったところ突然反撃され、魚雷発射したものの命中せず、再び砲撃応戦した航空機発見したため潜航余儀なくされた。3月29日未明、ガジョンは北緯000000東経1181830秒 / 北緯0.00000度 東経118.30833度 / 0.00000; 118.30833の地点差し掛かった所で、特設給油船東邦丸飯野海運、9,997トン)を発見する東邦丸は2門の備砲をもって浮上したままのガジョンに対して先制攻撃行い砲弾はガジョンからわずか50ヤード離れたところに少なくとも2発は落下した記録された。2時33分、ガジョンは浮上したまま魚雷3本発射した後、間もなく潜航し様子うかがった。やがて2本の魚雷命中して東邦丸航行不能となるも、沈む気配見せなかった。1時間後、ガジョンは4本目魚雷発射して船橋下に命中させたが、東邦丸様子はさほど変わらなかった。そこで、二度目攻撃から約30分後に5本目魚雷発射して命中させ、ガジョンが浮上してから15分後に東邦丸沈没した。ガジョンの手空き乗組員艦上上がって沈み行く東邦丸見物したが、間もなく別の方向に煙を発見したので全速力で煙に向かっていった。昼過ぎ北緯005430秒 東経1190136秒 / 北緯0.90833度 東経119.02667度 / 0.90833; 119.02667のボルネオ島マンガリハット岬近海で「第一小倉丸日本油槽船、7,270トン)級タンカー」と判断され目標に対して魚雷を2本発射し命中音を聴取。しかし、爆雷攻撃仕掛けてきたため確認はできなかった。ガジョンはこの攻撃魚雷使い果たした4月6日、ガジョンは24日間の行動終えてフリーマントル帰投した。 4月15日、ガジョンは8回目哨戒フィリピン方面向かった南緯0254東経11831分 / 南緯2.900度 東経118.517度 / -2.900; 118.517の地点北上中の4月22日には、哨戒艇発見して全速力脱出を図る。哨戒艇発砲してきたものの、ガジョンはこれを振り切った日付4月26日変わった直後、ガジョンは北緯0148東経11911分 / 北緯1.800度 東経119.183度 / 1.800; 119.183の地点レーダーより目標を探知し魚雷3本発射して命中得た判定浮上してみると、小型哨戒艇しか見えず目標沈んだものと判断された。4月27日深夜、ガジョンは北緯10度17東経12144分 / 北緯10.283度 東経121.733度 / 10.283; 121.733の地点大型船発見する目標マニラからバリクパパン向かっていた海軍徴傭鎌倉丸日本郵船17,498トン)であり、17.5ノット航行していた。日付4月28日変わって後の1時ごろ、ガジョンは北緯10度25東経12150分 / 北緯10.417度 東経121.833度 / 10.417; 121.833のパナイ島ナソ岬沖で魚雷を4本発射し3本命中鎌倉丸10分ほどで沈没した。これは、アメリカ潜水艦撃沈した艦船としては大きいほうの部類だった。4月30日にはパナイ島沿岸到着し、6名の訓練されゲリラ要員と3トン貨物揚陸させた。5月2日北緯10度33東経12151分 / 北緯10.550度 東経121.850度 / 10.550; 121.850の地点武装トロール船発見し魚雷を2本発射する命中せず爆雷攻撃によって追い払われた。5月4日には、北緯10度10東経12142分 / 北緯10.167度 東経121.700度 / 10.167; 121.700のパナイ島近海500トントロール船浮上砲戦撃沈するも、ジョージ・H・ペンランド中尉反撃掃射食らって海中落ちそのまま浮き上がってくることはなかった。生存者救助の上尋問した所、船名は "Naku Maru" ということであった。翌5月5日にも「小型貨客船」を発見し魚雷を使うまでもないとこれも浮上砲戦撃沈した北緯0929東経12329分 / 北緯9.483度 東経123.483度 / 9.483; 123.483のボホール海峡通過中の5月8日には、またもや武装トロール船発見して魚雷発射する回避され砲撃爆雷攻撃から逃れるため息潜めざるを得なかった。ガジョンはスリガオ海峡通過してルソン島東岸部に出てサンベルナルジノ海峡方面哨戒を行う。5月12日朝、北緯12度44東経12408分 / 北緯12.733度 東経124.133度 / 12.733; 124.133のサンベルナルジノ海峡東方沖7km地点付近にあるルソン島ブルサン沖の入り江停泊してカムフラージュをしていた陸軍輸送船すまとら丸大阪商船、5,863トン)を発見魚雷1本を命中させ、すまとら丸放棄され解体された。攻撃終了後、ガジョンは真珠湾針路向けた5月25日、ガジョンは41日間行動終えて真珠湾帰投サンフランシスコ回航され、ハンターズ・ポイント海軍造船所オーバーホール入った

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