第7、第8の哨戒 1943年3月 - 9月
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「ターポン (潜水艦)」の記事における「第7、第8の哨戒 1943年3月 - 9月」の解説
3月29日、ターポンは7回目の哨戒でマーシャル諸島およびトラック諸島方面に向かった。しかし、出港して5時間後にジェネレーターの異常が発見され、ただちに真珠湾に引き返した。修理の後、3月31日に再び出港。4月25日、ターポンはマキンに近接し、環礁内に水上飛行機があるのを確認した。その後はジャルート環礁とウォッジェ環礁の偵察を行い、ジャルート偵察では沖島型敷設艦と思しき艦艇を発見する。5月9日、ターポンはタロア島の無線所に対して艦砲射撃を行ったが、日本軍からの反撃を受けて後退した。この哨戒で航行中の敵船への攻撃は4月26日に一度あっただけであり、2本の魚雷を発射したものの命中せず、間もなく目標を見失った。5月15日、ターポンは47日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 7月30日、ターポンは8回目の哨戒で日本近海に向かった。ミッドウェー島に寄港の後、横浜に至る航路に取り付く。 8月12日1727、北緯33度30分 東経144度40分 / 北緯33.500度 東経144.667度 / 33.500; 144.667の南鳥島北西沖で、南東を約14ノットで航行する伊153型潜水艦と思しき潜水艦、実際はラバウルに向かっていた呂105を発見。司令塔には日の丸と、白く書かれた「ロ105」の文字が見えた。ターポンは潜航し、1801に艦尾魚雷発射管から魚雷を2本発射したものの回避され、命中しなかった。8月16日、ターポンは野島崎近海で大鷹型航空母艦と推定される空母や高雄型重巡洋艦と思しき大型艦を含む日本海軍の機動部隊を観測したが、艦隊は高速で航行していたため攻撃を行うことはできなかった。8月21日、ターポンは護衛艦を従えた2隻の大型貨物船に遭遇する。ターポンは2隻に対してそれぞれ3本の魚雷を発射し、双方に損傷を与えたと判断した。7日後の8月28日、ターポンは御蔵島近海で特設給糧船神盛丸(日本海洋漁業、4,746トン)を撃破。9月4日には北緯35度56分 東経157度59分 / 北緯35.933度 東経157.983度 / 35.933; 157.983の地点で、特設監視艇楡林丸(日本海洋漁業、97トン)を雷撃で撃沈した。9月8日、ターポンは40日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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