第7、第8の哨戒 1943年3月 - 9月とは? わかりやすく解説

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第7、第8の哨戒 1943年3月 - 9月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/10 21:07 UTC 版)

ターポン (潜水艦)」の記事における「第7、第8の哨戒 1943年3月 - 9月」の解説

3月29日ターポン7回目哨戒マーシャル諸島およびトラック諸島方面向かった。しかし、出港して5時間後にジェネレーターの異常が発見され、ただちに真珠湾引き返した修理の後、3月31日に再び出港4月25日ターポンマキン近接し環礁内に水上飛行機があるのを確認したその後ジャルート環礁ウォッジェ環礁偵察行いジャルート偵察では沖島敷設艦思しき艦艇発見する5月9日ターポンタロア島無線に対して艦砲射撃行ったが、日本軍からの反撃受けて後退した。この哨戒航行中敵船への攻撃4月26日一度あっただけであり、2本の魚雷発射したものの命中せず間もなく目標見失った5月15日ターポン47日間行動終えて真珠湾帰投した。 7月30日ターポン8回目哨戒日本近海向かったミッドウェー島寄港の後、横浜に至る航路取り付く8月12日1727、北緯3330東経14440分 / 北緯33.500度 東経144.667度 / 33.500; 144.667の南鳥島北西沖で、南東を約14ノット航行する伊153潜水艦思しき潜水艦実際ラバウル向かっていた呂105発見司令塔には日の丸と、白く書かれた「ロ105」の文字見えたターポン潜航し、1801に艦尾魚雷発射管から魚雷を2本発射したものの回避され命中しなかった。8月16日ターポン野島崎近海大鷹型航空母艦推定される空母高雄型重巡洋艦思しき大型艦を含む日本海軍機動部隊観測したが、艦隊高速航行していたため攻撃を行うことはできなかった。8月21日ターポン護衛艦従えた2隻の大型貨物船遭遇するターポンは2隻に対してそれぞれ3本魚雷発射し双方損傷与えた判断した7日後の8月28日ターポン御蔵島近海特設給糧船神盛丸(日本海洋漁業、4,746トン)を撃破9月4日には北緯3556東経15759分 / 北緯35.933度 東経157.983度 / 35.933; 157.983の地点で、特設監視艇楡林丸日本海洋漁業97トン)を雷撃撃沈した9月8日ターポン40日間行動終えてミッドウェー島帰投した。

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