第7、第8、第9の哨戒 1945年2月 - 9月
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「ブルーフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第7、第8、第9の哨戒 1945年2月 - 9月」の解説
2月10日、ブルーフィッシュは7回目の哨戒で日本近海に向かった。南西諸島方面で救助配備任務に就き、3月1日に戦闘機の援護を得て2名のパイロットを救助したものの、息を引き取って水葬で葬られた。3月19日、ブルーフィッシュは北緯32度30分 東経137度57分 / 北緯32.500度 東経137.950度 / 32.500; 137.950の地点で200トン級監視艇を発見し、浮上砲戦で損傷を与えた。3月24日、ブルーフィッシュは42日間の行動を終えてアプラ港に帰投。艦長がジョージ・W・フォーブス・ジュニア少佐(アナポリス1939年組)に代わった。 4月23日、ブルーフィッシュは8回目の哨戒で東シナ海に向かった。4月29日、ブルーフィッシュは先島諸島方面での救助配備任務中に音信不通になったスヌーク (USS Snook, SS-279) に代わって救助配備任務に就き、5月29日まで任務を続けた。その間の5月7日未明、ブルーフィッシュは石垣島宮良の航空基地に対して5インチ砲による艦砲射撃を行ったが、大した損害は与えなかったと判定される。石垣島への艦砲射撃は5月24日夕刻と5月28日夕刻にも行われ、5月7日に攻撃したのとは別の航空基地に対して5インチ砲弾を撃ち込んだ。6月1日、ブルーフィッシュは38日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。 6月25日、ブルーフィッシュは9回目の哨戒で南シナ海に向かった。6月30日に僚艦ブロワー (USS Blower, SS-325) と会合し、テンゴール岬から北がブルーフィッシュ、南がブロワーの哨戒海域となった。7月8日夜、ブルーフィッシュはブロワーから「北緯02度42分 東経105度34分 / 北緯2.700度 東経105.567度 / 2.700; 105.567の地点に2隻の小型艦艇がいる」と教えられ、その方向に艦を進めて北緯02度13分 東経105度03分 / 北緯2.217度 東経105.050度 / 2.217; 105.050の地点で目標を発見し、魚雷を4本発射するが命中しなかった。日付が7月9日に変わってすぐ、深度を浅くして魚雷を4本発射して2本を命中させ、程なく三度目の攻撃で魚雷を4本発射したが、これは命中しなかった。この攻撃で、第50号駆潜特務艇を撃沈した。7月13日からは、ブロワーとともにハンマーヘッド (USS Hammerhead, SS-364)、チャー (USS Charr, SS-328) と合流しウルフパックを構成。この頃、「大型潜水艦がシンガポールを出た」という情報を得たブルーフィッシュは、この潜水艦を撃沈するよう司令部から命令を受けた。7月15日未明、ブルーフィッシュは2つの魚雷爆発音を聞く。ブロワーが目標に対して攻撃をしたと判断され、そのブロワーから「攻撃を行ったが、その結果は疑わしい」との報告が入る。やがてブルーフィッシュは、北緯05度44分 東経110度06分 / 北緯5.733度 東経110.100度 / 5.733; 110.100の地点で12ノットの速力で浮上航行中の大型潜水艦を発見した。これはガソリン輸送潜水艦の伊号第三五一潜水艦(伊351)であり、ガソリン輸送のついでに第九三六海軍航空隊関係者を便乗させて、7月11日にシンガポールを出港し佐世保に向かってる途中だった。ブルーフィッシュは伊351に魚雷を4本発射し、そのうちの2本を命中させて撃沈して伊351の乗組員3名を捕虜とした。7月19日には南緯00度04分 東経105度08分 / 南緯0.067度 東経105.133度 / -0.067; 105.133の地点で日の丸を掲げたジャンクを発見し、威嚇射撃で停船させて原住民を退去させた上で砲撃により撃沈した。7月29日、ブルーフィッシュは33日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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