第7 - 第9の哨戒 1943年7月 - 1944年2月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 16:09 UTC 版)
「シードラゴン (潜水艦)」の記事における「第7 - 第9の哨戒 1943年7月 - 1944年2月」の解説
7月18日、シードラゴンは7回目の哨戒でマーシャル諸島、ウェーク島方面に向かった。行動期間のうち31日間はウェーク島近海での哨戒にあてられた。7月27日、シードラゴンは特設運送船諏訪丸(日本郵船、10,672トン)に魚雷を打ち込んだ。諏訪丸は、3月28日にタニー (USS Tunny, SS-282) の、4月5日にフィンバック (USS Finback, SS-230) の雷撃を別々に受けて損傷し、ウェーク島に座礁したものであった。8月4日には北緯07度40分 東経160度45分 / 北緯7.667度 東経160.750度 / 7.667; 160.750の地点で第5013船団を発見し、特設運送船建武丸(英語版)(拿捕船、6,816トン)に魚雷を命中させた。哨戒自体は増加する航空機により順調ではなかったが、諏訪丸と建武丸を含め5隻の船舶に打撃を与えたと評価された。8月中旬にはウォッジェ環礁を偵察。8月30日、シードラゴンは43日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 9月24日、シードラゴンは8回目の哨戒でマーシャル諸島方面に向かった。クェゼリン環礁近海で31日間哨戒したが、対潜活動は相変わらず厳しいものだった。シードラゴンは、5つの接触を得て2回しか攻撃機会がなかった。そのうちの1回、10月13日にはクェゼリン環礁キーヨ水道を通過中の特務艦宗谷を撃破(実際は宗谷の損傷なし)し、護衛の特設駆潜艇第六昭南丸(日本海洋漁業、355トン)はシードラゴンに対して反撃に出た。11月5日、シードラゴンは42日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 12月14日、シードラゴンは9回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。トラックとサイパン島間の交通路を哨戒し、1944年1月9日には北緯10度20分 東経149度28分 / 北緯10.333度 東経149.467度 / 10.333; 149.467の地点で輸送船を発見し、魚雷を4本発射して3本命中させるも全て不発だった。1月20日、シードラゴンは北緯08度04分 東経150度52分 / 北緯8.067度 東経150.867度 / 8.067; 150.867のトラック北方で輸送船団を発見し、給糧艦伊良湖に魚雷を命中させた。伊良湖は艦首を深く沈めたものの沈没しなかった。シードラゴンは伊良湖を含めた3隻の貨物船を発見し、2隻に打撃を与えたと評価された。2月5日、シードラゴンは46日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がジェームス・H・アシュリー・ジュニア少佐(アナポリス1934年組)に代わった。修理の際、従来の3インチ砲は4インチ砲に換装された。
※この「第7 - 第9の哨戒 1943年7月 - 1944年2月」の解説は、「シードラゴン (潜水艦)」の解説の一部です。
「第7 - 第9の哨戒 1943年7月 - 1944年2月」を含む「シードラゴン (潜水艦)」の記事については、「シードラゴン (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第7 - 第9の哨戒 1943年7月 - 1944年2月のページへのリンク