第7、第8、第9、第10の哨戒 1944年10月 - 1945年8月
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「ピート (潜水艦)」の記事における「第7、第8、第9、第10の哨戒 1944年10月 - 1945年8月」の解説
10月23日、ピートは7回目の哨戒でスペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411) 、サンフィッシュ (USS Sunfish, SS-281) とウルフパックを構成し東シナ海および黄海に向かった。11月9日に黄海に到着した後、11月12日未明にピートは大爆発音と猛烈な閃光を目撃した。これは近くで哨戒していたバーブ (USS Barb, SS-220) が北緯31度30分 東経125度57分 / 北緯31.500度 東経125.950度 / 31.500; 125.950の地点でモマ07船団を攻撃していた事を示すものと考えられた。ピートはモマ07船団がこちらに向かうと予測して戦闘配置を令しモマ07船団に接近していった。同じ日の朝6時20分、ピートは北緯31度46分 東経125度40分 / 北緯31.767度 東経125.667度 / 31.767; 125.667の男女群島西方280キロ地点でモマ07船団を発見し攻撃。第一撃では魚雷4本を発射し、最も近い陸軍輸送船辰昭丸(辰馬汽船、2,746トン)に3本が命中、辰昭丸は急激にスピードを落とし、大爆発を起こして沈没した。辰昭丸が沈没する頃、ピートは第二撃で魚雷を6本発射した。しかし、折からの悪天候で視界も悪く、4つの爆発音は聞こえ炎上しているのも見えたものの、いずれにせよ第二撃の成果は不明だった。11月17日夜、ピートらのウルフパックは北緯33度50分 東経124度44分 / 北緯33.833度 東経124.733度 / 33.833; 124.733の済州島西方洋上でミ27船団を発見し、23時40分にピートは魚雷を3本発射し、うち2本をタンカー逢坂山丸(三井船舶、6,925トン)に命中させた。逢坂山丸は炎上しながら沈没していったが、後部が浮いているように見えたのでピートは再度の魚雷を発射すべく準備したものの、すぐにその作業は不要と判断された。ピートは次の獲物を求め、3時間後に魚雷を3本発射。輸送船鎮海丸(東亜海運、2,827トン)に1本が命中して鎮海丸は4分で沈没した。11月29日、ピートは北緯35度50分 東経125度43分 / 北緯35.833度 東経125.717度 / 35.833; 125.717の大黒山島近海で小型の沿岸タンカーを発見し、三度にわたって魚雷を計8本発射したが、命中しなかった。12月6日、ピートは43日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。真珠湾に回航された。 1945年1月31日、ピートは8回目の哨戒でスレッシャー (USS Thresher, SS-200) 、シャード (USS Shad, SS-235) およびタイルフィッシュ (USS Tilefish, SS-307) とウルフパックを構成しルソン海峡、海南島方面に向かった。2月12日にサイパン島で給油した後哨戒海域に到着したが、適当な目標には遭遇しなかった。3月5日夜には、日本機の爆撃を受けて軽いダメージを負った。4月9日、ピートは67日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 5月4日、ピートは9回目の哨戒で南鳥島方面に向かった。5月12日に南鳥島を空襲する航空部隊の支援に従事したが、幸いなことに救助を要する不時着機はなかった。その後、5月26日にサイパン島タナパグ港(英語版)に寄港して補給ののち、日本近海に進出して紀伊水道方面で哨戒を行い、6月8日からは常時富士山を見る海域で救助配備に就いた。6月14日には鳥島の沿岸部を撮影した。6月19日、ピートは44日間の行動を終えてアプラ港に帰投した。 7月14日、ピートは10回目の哨戒で日本近海に向かった。その頃、第38任務部隊(ジョン・S・マケイン・シニア中将)が日本各地を空襲しており、本州沿岸部における支援が主任務となった。7月24日、ピートは浜松近海で空母レキシントン (USS Lexington, CV-16) 艦載機のパイロット2名を救助する。一人は両脚に銃創を負っていた。翌25日には北緯34度23分 東経137度25分 / 北緯34.383度 東経137.417度 / 34.383; 137.417の地点で40ミリ機関砲と20ミリ機銃により50トン級サンパンを撃ち沈め、その一方で9名のパイロットを救助した。8月10日にはイギリス空母フォーミダブル (HMS Formidable, 67) 艦載機のパイロットを救助した。8月15日も相変わらず味方航空機の支援を続けていたが、この日に戦争は終わった。8月30日、ピートは47日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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