第7、第8、第9、第10の哨戒 1943年2月 - 9月
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「パーミット (ポーパス級潜水艦)」の記事における「第7、第8、第9、第10の哨戒 1943年2月 - 9月」の解説
1943年2月5日、パーミットは7回目の哨戒で日本近海に向かった。ミッドウェー島に立ち寄った後、本州東方海面に到達。2月25日、パーミットは白糠海岸に座礁放棄されていた輸送船玄山丸(宮地汽船、5,691トン)に対して魚雷を発射するも、折からの吹雪に悩まされたり、外装発射管の魚雷が発射できなかったりするなどの不運が重なって、魚雷を命中させる事ができなかった。3月2日と4日にも輸送船団を発見して攻撃する。3月7日には襟裳岬東方海上に出没して、発動機船正進丸を浮上攻撃。3月8日、パーミットは尻屋埼灯台沖で第2308船団を発見し、2本の魚雷が貨物船久島丸(飯野海運、2,742トン)に命中、これを撃沈した。3月16日、パーミットは38日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 4月6日、パーミットは8回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。マリアナ諸島とカロリン諸島間の航路を哨戒し、5月4日、パーミットはグアムアプラ港を偵察し、引き続き港外に留まっていた所、翌5月5日朝になって2隻の船が出港してくるのを確認。魚雷を4本発射し、特設運送船東京丸(摂津商船、6,484トン)に曳航されている特設運送船東海丸(大阪商船、8,365トン)に1本が命中した。5月25日、パーミットは49日間の行動を終えて真珠湾に帰投。整備後ミッドウェー島に回航された。 7月20日、パーミットは9回目の哨戒でプランジャー (USS Plunger, SS-179) およびレイポン (USS Lapon, SS-260) とともに日本海に向かった。日本海への侵入は戦時においては初めてであり、満州および朝鮮半島から物資を運ぶ船団や単独航行船舶への攻撃を企図した。3隻は、日本海には獲物が群集しているものと期待して宗谷海峡から日本海に入った。7月6日夜、パーミットは北海道神威岬沖で2本の魚雷を発射し、貨物船第三十三播州丸(西大洋漁業、787トン)を撃沈した。7月7日に日付が変わってまもなく、小樽沖でパーミットは朝鮮半島に向かう2隻の船団を発見し、2本の魚雷を発射して貨物船昭和丸(甲南汽船、2,212トン)を撃沈。昭和丸は被雷後5分で沈没した。7月7日から8日にかけての夜間にも北緯42度47分 東経139度53分 / 北緯42.783度 東経139.883度 / 42.783; 139.883の地点で目標を発見し、貨客船泰北丸(藤山海運、1,371トン)に対して魚雷を複数回発射して命中を報告したものの、泰北丸に損害はなかった。アメリカ側の記録では、7月9日に中立国ソ連の海洋調査船第20号(Seiner No.20)を誤って攻撃して破壊し、漁船の船員を救助したとする。しかし、7月9日に漁船を攻撃した事実は記されていない。この哨戒は、非常に成功したと一応は判断された。パーミットは宗谷海峡を再び通過し、7月18日にアラスカ州ダッチハーバーに寄港。7月27日、パーミットは37日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がカーター・L・ベネット少佐(アナポリス1933年組)に代わった。 8月23日、パーミットは10回目の哨戒でマーシャル諸島方面に向かった。この哨戒ではマーシャル諸島のいくつかの環礁に対しての写真偵察を行う任務が与えられていた。9月3日にクェゼリン環礁ギー水道沖で爆撃を受けたが回避。9月9日夜、パーミットはクェゼリン環礁東岸部で哨戒中、貨物船に対して魚雷を発射し、魚雷の命中を確認したが護衛艦の爆雷攻撃を受け、何とか回避した。9月12日未明、パーミットは北緯08度23分 東経165度12分 / 北緯8.383度 東経165.200度 / 8.383; 165.200の地点で第6113船団を発見して攻撃し、特設航空機運搬艦富士川丸(東洋海運、6,938トン)と給油艦知床に損傷を与えた。翌9月13日、パーミットは知床救援に急行した軽巡洋艦那珂に対して、魚雷を二度にわたり3本発射したが回避された。9月24日、パーミットは32日間の行動を終えて真珠湾に帰投。帰投後、エンジンと燃料タンクの大規模な整備が行われた。
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