第7、第8、第9の哨戒 1943年6月 - 12月
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「プランジャー (SS-179)」の記事における「第7、第8、第9の哨戒 1943年6月 - 12月」の解説
6月18日、プランジャーは7回目の哨戒でパーミット (USS Permit, SS-178) 、レイポン (USS Lapon, SS-260) とともに日本海に向かった。日本海への侵入は戦時においては初めてであり、満州および朝鮮半島から物資を運ぶ船団や単独航行船舶への攻撃を企図した。3隻は、日本海には獲物が群集しているものと期待して宗谷海峡から日本海に入った。7月7日、プランジャーは北緯37度33分 東経133度09分 / 北緯37.550度 東経133.150度 / 37.550; 133.150の隠岐島沖で商船安山丸(興国汽船、5,493トン)に対して魚雷を4本発射。そのうちの2本が命中したが、2本とも不発であった。安山丸は損傷して座礁したものの沈没は免れ、プランジャーは浮上砲戦を挑んだものの撃退された。7月12日には、北緯42度56分 東経139度57分 / 北緯42.933度 東経139.950度 / 42.933; 139.950の地点で貨客船新高丸(北日本汽船、2,482トン)を撃沈した。3隻は哨戒終了後、宗谷海峡を再び通過した。7月20日、プランジャーは32日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 8月6日、プランジャーは8回目の哨戒で「マッシュ」・モートン艦長のワフー (USS Wahoo, SS-238) とともに日本海に向かった。8月18日、プランジャーは北緯43度24分 東経140度28分 / 北緯43.400度 東経140.467度 / 43.400; 140.467の地点で大国丸(内外汽船、5,633トン)を攻撃し、魚雷が命中しなかったにもかかわらず大国丸は「損害軽微」と報告した。8月20日夕刻には北海道日方泊岬沖で貨物船盛泰丸(坂本商事、3,404トン)を撃沈。2日後の8月22日には北緯42度39分 東経139度47分 / 北緯42.650度 東経139.783度 / 42.650; 139.783の地点で蟹工船遼海丸(日本海洋漁業統制、4,655トン)を撃沈した。僚艦のワフーが魚雷の不良に悩まされてサンパン3隻しか戦果がなかったのに対し、プランジャーは恵まれていた。9月5日、プランジャーは30日間の行動を終えて真珠湾に帰投。プランジャーは終戦までに日本海で2度の哨戒を行って完了した唯一の艦となった(ワフーは間もなく2度目の哨戒を成功させたが帰路で撃沈されている)。 11月6日、プランジャーは9回目の哨戒でガルヴァニック作戦に参加してマーシャル諸島およびギルバート諸島方面に向かった。この哨戒では偵察に加えて救助配備任務に従事し、11月15日にはミリ環礁近海で、撃墜された爆撃機の乗員の救助にあたる。この救助作業中、零戦が救命ボートに対して機銃掃射を行い、プランジャーの副長および水兵5名が重傷を負った。しかしながらフランクリン・G・シュラム中尉の救助に成功した。12月2日夜には北緯06度17分 東経171度40分 / 北緯6.283度 東経171.667度 / 6.283; 171.667の地点で、駆逐艦を伴って高速で航行中の長良型軽巡洋艦に対してレーダーを使った夜間水上襲撃を行ったが、攻撃は成功しなかった。12月18日、プランジャーは42日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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