第7、第8の哨戒 1943年12月 - 1944年5月
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「ブラックフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第7、第8の哨戒 1943年12月 - 1944年5月」の解説
12月25日、ブラックフィッシュは7回目の哨戒でビスマルク諸島方面に向かった。12月29日にツラギ島に寄港し、ビスマルク諸島北方海域に針路を向けた。1944年1月8日、ブラックフィッシュは激しい雨の中、南緯01度30分 東経148度06分 / 南緯1.500度 東経148.100度 / -1.500; 148.100の地点で1隻の小型タンカー、3隻の輸送船および2隻の駆逐艦からなる輸送船団を発見し、魚雷を6本発射してタンカーと輸送船に計3本命中させたと判断される。1月16日午後には、北緯03度50分 東経143度44分 / 北緯3.833度 東経143.733度 / 3.833; 143.733の地点で2隻の輸送船と1隻の駆逐艦を発見し、最初の目標に魚雷を6本、二番目の4,500トン級中型タンカーに魚雷を4本発射。魚雷は特設運送船海河丸(大連汽船、2,087トン)に命中してこれを撃沈した。1月28日に再びツラギ島に寄港、ムッソー島(英語版)、タンガ島(英語版)、フェニ島(英語版)の偵察に向かう途中の2月3日、ブラックフィッシュは南緯01度36分 東経150度09分 / 南緯1.600度 東経150.150度 / -1.600; 150.150の地点で2隻の中型輸送船と2隻の「吹雪型駆逐艦」と思われる艦艇からなる輸送船団を発見し、「吹雪型駆逐艦」に対して魚雷を6本発射し2つの命中を確認したが、最終的な成果は確認しきれなかった。2月13日、ブラックフィッシュは50日間の行動を終えてブリスベンに帰投。艦長がロバート・F・セラーズ少佐(アナポリス1934年組)に代わった。 3月1日、ブラックフィッシュは8回目の哨戒でニューギニア、カロリン諸島方面に向かった。ミルン湾に寄港して補給した後、パラオ東南方海域で第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)によるパラオ空襲の支援に従事した。その最中の3月30日朝には、北緯10度00分 東経150度09分 / 北緯10.000度 東経150.150度 / 10.000; 150.150の地点で3隻の輸送船と4隻の護衛艦からなる輸送船団を発見して艦尾発射管から魚雷を4本発射したが命中せず、次いで艦首発射管からもう4本発射して1本が「大型駆逐艦」か「軽巡洋艦」に命中したと判断された。4月8日にマヌス島に寄港して補給した後、再びパラオ近海に針路を向けた。パラオ近海での哨戒を終えると、ヤップ島近海で哨戒と支援任務を行った。5月19日、ブラックフィッシュは80日間の行動を終えて真珠湾に帰投。サンフランシスコのベスレヘム・スチールに回航されてオーバーホールに入り、9月7日に真珠湾に戻った。
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第7、第8の哨戒 1943年12月 - 1944年5月
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「フィンバック (潜水艦)」の記事における「第7、第8の哨戒 1943年12月 - 1944年5月」の解説
12月15日、フィンバックは7回目の哨戒で東シナ海に向かった。フィンバックは荒天に遭遇しつつも、九州近海に接近していった。1944年1月2日未明、フィンバックは北緯28度36分 東経129度03分 / 北緯28.600度 東経129.050度 / 28.600; 129.050の中之島沖で、舵機故障で海防艦佐渡護衛の船団から脱落したタンカー一心丸(日本石油、10,044トン)を発見。魚雷を3本つつ2度発射し、計4本が一心丸に命中してこれを撃沈した。1月30日には北緯30度19分 東経134度03分 / 北緯30.317度 東経134.050度 / 30.317; 134.050の地点でトロール船を砲撃で撃沈。翌1月31日にも北緯30度42分 東経139度49分 / 北緯30.700度 東経139.817度 / 30.700; 139.817の地点で別のトロール船を破壊した。2月11日、フィンバックは58日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 3月6日、フィンバックは8回目の哨戒でカロリン諸島方面へ向かった。この哨戒では第58任務部隊(マーク・ミッチャー中将)の搭乗員の救助を主な任務とした。4月12日午後、フィンバックは6隻の船舶が中心の輸送船団を発見し、夜に入って3隻の護衛艦に注意しつつ北緯09度39分 東経147度50分 / 北緯9.650度 東経147.833度 / 9.650; 147.833の地点から4隻の船舶に対して三度にわたる攻撃を行い、3隻の中型輸送船に損傷を与えたと判断された。4月16日にはオロルック環礁(英語版)を偵察し、半没状態の船と監視塔を攻撃した。4月19日には北緯08度22分 東経151度41分 / 北緯8.367度 東経151.683度 / 8.367; 151.683の地点で5隻のサンパンを発見し、うち50トン級サンパン1隻を砲撃により撃沈した。5月1日、フィンバックは55日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がジェームス・L・ジョーダン少佐(アナポリス1933年組)に代わった。
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