第7、第8の哨戒 1943年12月 - 1944年5月とは? わかりやすく解説

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第7、第8の哨戒 1943年12月 - 1944年5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/16 15:35 UTC 版)

ブラックフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第7、第8の哨戒 1943年12月 - 1944年5月」の解説

12月25日、ブラックフィッシュは7回目哨戒ビスマルク諸島方面向かった12月29日ツラギ島寄港しビスマルク諸島北方海域針路向けた1944年1月8日、ブラックフィッシュは激しい雨の中、南緯0130東経14806分 / 南緯1.500度 東経148.100度 / -1.500; 148.100の地点で1隻の小型タンカー、3隻の輸送船および2隻の駆逐艦からなる輸送船団発見し魚雷を6本発射してタンカー輸送船に計3本命中させたと判断される1月16日午後には、北緯0350東経14344分 / 北緯3.833度 東経143.733度 / 3.833; 143.733の地点で2隻の輸送船と1隻の駆逐艦発見し最初目標魚雷を6本、二番目の4,500トン中型タンカー魚雷を4本発射魚雷特設運送船海河丸(大連汽船、2,087トン)に命中してこれを撃沈した1月28日に再びツラギ島寄港、ムッソー島(英語版)、タンガ島(英語版)、フェニ島(英語版)の偵察に向かう途中2月3日、ブラックフィッシュは南緯0136東経15009分 / 南緯1.600度 東経150.150度 / -1.600; 150.150の地点で2隻の中型輸送船と2隻の「吹雪型駆逐艦」と思われる艦艇からなる輸送船団発見し、「吹雪型駆逐艦に対して魚雷を6本発射し2つ命中確認したが、最終的な成果確認しきれなかった。2月13日、ブラックフィッシュは50日間行動終えてブリスベン帰投艦長ロバート・F・セラーズ少佐アナポリス1934年組)に代わった。 3月1日、ブラックフィッシュは8回目哨戒ニューギニアカロリン諸島方面向かったミルン湾寄港して補給した後、パラオ東南海域第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)によるパラオ空襲支援従事した。その最中3月30日朝には、北緯10度00東経15009分 / 北緯10.000度 東経150.150度 / 10.000; 150.150の地点で3隻の輸送船と4隻の護衛艦からなる輸送船団発見して艦尾発射管から魚雷を4本発射した命中せず次いで艦首発射管からもう4本発射して1本が「大型駆逐艦」か「軽巡洋艦」に命中した判断された。4月8日マヌス島寄港して補給した後、再びパラオ近海針路向けたパラオ近海での哨戒終えると、ヤップ島近海哨戒支援任務行った5月19日、ブラックフィッシュは80日間行動終えて真珠湾帰投サンフランシスコベスレヘム・スチール回航されてオーバーホール入り9月7日真珠湾戻った

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第7、第8の哨戒 1943年12月 - 1944年5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/22 18:32 UTC 版)

フィンバック (潜水艦)」の記事における「第7、第8の哨戒 1943年12月 - 1944年5月」の解説

12月15日フィンバック7回目哨戒東シナ海向かったフィンバック荒天遭遇しつつも、九州近海接近していった。1944年1月2日未明フィンバック北緯2836東経12903分 / 北緯28.600度 東経129.050度 / 28.600; 129.050の中之島沖で、舵機故障海防艦佐渡護衛船団から脱落したタンカー一心丸(日本石油10,044トン)を発見魚雷3本つつ2度発射し、計4本が一心丸に命中してこれを撃沈した1月30日には北緯3019東経13403分 / 北緯30.317度 東経134.050度 / 30.317; 134.050の地点トロール船砲撃撃沈。翌1月31日にも北緯3042東経13949分 / 北緯30.700度 東経139.817度 / 30.700; 139.817の地点別のトロール船破壊した2月11日フィンバック58日間行動終えて真珠湾帰投した。 3月6日フィンバック8回目哨戒カロリン諸島方面向かった。この哨戒では第58任務部隊マーク・ミッチャー中将)の搭乗員救助主な任務とした。4月12日午後フィンバックは6隻の船舶中心輸送船団発見し夜に入って3隻の護衛艦注意しつつ北緯0939東経14750分 / 北緯9.650度 東経147.833度 / 9.650; 147.833の地点から4隻の船舶に対して三度にわたる攻撃行い、3隻の中型輸送船損傷与えた判断された。4月16日にはオロルック環礁英語版)を偵察し、半没状態の船と監視塔攻撃した4月19日には北緯0822東経15141分 / 北緯8.367度 東経151.683度 / 8.367; 151.683の地点で5隻のサンパン発見し、うち50トンサンパン1隻を砲撃により撃沈した5月1日フィンバック55日間行動終えて真珠湾帰投艦長ジェームス・L・ジョーダン少佐アナポリス1933年組)に代わった。

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