第7、第8の哨戒 1943年8月 - 12月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 09:15 UTC 版)
「ドラム (潜水艦)」の記事における「第7、第8の哨戒 1943年8月 - 12月」の解説
8月16日、ドラムは7回目の哨戒でビスマルク諸島およびニューギニア方面に向かった。8月27日午後、ドラムは南緯01度49分 東経149度37分 / 南緯1.817度 東経149.617度 / -1.817; 149.617の地点で輸送船団からのものと思しき煙を発見し、日が暮れてからの浮上攻撃に決する。日付が8月28日に変わってのちに、浮上して魚雷を4本発射。潜航の後魚雷を2本発射した直後に先に発射した魚雷が3本命中する音が聞こえ、この攻撃で特設運送船山霧丸(山下汽船、6,438トン)を撃破した。8月29日朝にも南緯01度32分 東経145度59分 / 南緯1.533度 東経145.983度 / -1.533; 145.983の地点で輸送船に対して魚雷を3本発射したが、いずれも命中しなかった。この後、ドラムはニューギニア沿岸部に移る。9月8日午後、ドラムは南緯02度48分 東経141度46分 / 南緯2.800度 東経141.767度 / -2.800; 141.767の地点でパラオからウェワク行きの単独回航中の輸送船を発見し、魚雷を3本発射。魚雷は1本が輸送船第十三博鉄丸(西海汽船、1,334トン)に命中して第十三博鉄丸は瞬時に沈没した。しかし、ジャイロコンパスに異常を来たしたため哨戒を打ち切り、9月29日から10月2日までツラギ島で応急修理を行った。10月6日、ドラムは51日間の行動を終えてブリスベンに帰投、このときドラムの艦長はデルバート・F・ウィリアムソン少佐(アナポリス1927年組)に代わった。 11月2日、ドラムは8回目の哨戒でビスマルク諸島およびカロリン諸島方面に向かった。11月11日、ドラムは北緯00度20分 東経148度35分 / 北緯0.333度 東経148.583度 / 0.333; 148.583の地点で3隻の大型船からなる輸送船団を発見し、魚雷を6本発射。うち2本が目標に命中したものと判断された。11月17日昼前、ドラムは3条の煙を発見して潜航し、北緯01度48分 東経148度24分 / 北緯1.800度 東経148.400度 / 1.800; 148.400のラバウル北西300海里の地点で特設運送船日枝丸(日本郵船、11,621トン)に対して魚雷を4本発射し、1本が命中。日枝丸は約4時間後に沈没した。11月22日には、北緯02度53分 東経141度36分 / 北緯2.883度 東経141.600度 / 2.883; 141.600の地点で3隻の輸送船団を発見して魚雷を4本発射。直後から爆雷攻撃に見舞われ、司令塔区画に損傷があった。ドラムは翌11月23日に真珠湾に針路を向けた。12月5日、ドラムは34日間の行動を終えて真珠湾に帰投。司令塔の再改装工事を受けるため、メア・アイランド海軍造船所で2度目のオーバーホールに入った。オーバーホールを終えたドラムは、3月29日に真珠湾に戻った。
※この「第7、第8の哨戒 1943年8月 - 12月」の解説は、「ドラム (潜水艦)」の解説の一部です。
「第7、第8の哨戒 1943年8月 - 12月」を含む「ドラム (潜水艦)」の記事については、「ドラム (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第7、第8の哨戒 1943年8月 - 12月のページへのリンク