第7、第8の哨戒 1945年3月 - 8月
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「シーホース (潜水艦)」の記事における「第7、第8の哨戒 1945年3月 - 8月」の解説
3月9日、シーホースは7回目の哨戒で日本近海に向かった。この時のシーホースには、敷設された機雷も探知できるFMソナーが装備されており、対馬海峡、九州西部方面における試験実施も兼ねていた。3月29日から4月1日にかけて試験を実施した後、通常の哨戒を続けた。4月8日、シーホースは砲撃でジャンクを撃沈した。しかし、その10日後の4月18日早朝、シーホースは北緯33度42分 東経128度36分 / 北緯33.700度 東経128.600度 / 33.700; 128.600の済州島南東海域を浮上航行中、第132号海防艦に発見され射撃を受けた。シーホースは直ちに潜航。第132号海防艦は6時15分に水深100メートル付近にいたシーホースを目標に爆雷を投下。その後、第14号海防艦と第16号海防艦が現場に到着し攻撃を開始。シーホースは爆雷の爆発により下部に飛ばされ、艦内のグラスが割れた。また、機材は落下して強打し、水圧設備の潤滑油が漏れだした。レーダー基部や魚雷発射用コンピュータも破壊され、おまけに備砲も機銃もことごとく故障し、もはや哨戒をこれ以上続けることは不可能となった。乗組員は応急修理を行い、シーホースは引き返し始めた。4月27日、シーホースは46日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。シーホースはひどい損傷を受けていたがFMソナーにはあまり損傷がなく、FMソナーはシードッグ (USS Sea Dog, SS-401) に移設された。その後、シーホースは真珠湾に回航されて修理を受けた。 7月12日、シーホースは8回目の哨戒で日本近海に向かった。8月15日の終戦時、シーホースは八丈島南東40マイルの海上にあった。シーホースは終戦の報を受け、引き返した。8月22日、シーホースは38日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。
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