第7、第8の哨戒 1945年4月 - 8月
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「ビルフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第7、第8の哨戒 1945年4月 - 8月」の解説
4月24日、ビルフィッシュは7回目の哨戒で日本近海および東シナ海に向かった。この哨戒では艦船攻撃と日本の沖合でのパイロットの救助任務が命じられていた。5月26日、ビルフィッシュは長崎県生月島近海で第七寿丸(阿波国共同汽船、991トン)を撃沈した。ビルフィッシュはこの後黄海に向かい、朝鮮半島に接岸して航行する船舶を探した。6月4日、ビルフィッシュは3隻のトロール船を砲撃で撃沈した。6月5日には大同江口西島灯台南西の海域で大宇丸(大連汽船、2,220トン)を発見し撃沈。6月17日、ビルフィッシュは54日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 7月12日、ビルフィッシュは8回目の哨戒で東シナ海および黄海に向かった。この哨戒でも艦船攻撃と日本の沖合でのパイロットの救助任務が命じられた。ビルフィッシュは黄海の奥深くにまで足を伸ばし船舶を探した。8月5日、ビルフィッシュは北緯38度51分 東経121度39分 / 北緯38.850度 東経121.650度 / 38.850; 121.650の渤海入口付近で広利丸(政記輸船、1,091トン)を発見し、撃沈した。ビルフィッシュは8月15日の終戦を洋上で迎えた。8月27日、ビルフィッシュは44日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 ビルフィッシュは1943年8月12日から1945年8月27日までの間に8度の哨戒を行い、これらの哨戒で3隻の貨物船、合計4,074トンを撃沈したと認定され、そのほかに5隻の小型艇も沈めた。
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