第7、第8の哨戒 1945年4月 - 7月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:15 UTC 版)
「レイトン (潜水艦)」の記事における「第7、第8の哨戒 1945年4月 - 7月」の解説
4月20日、レイトンは7回目の哨戒で黄海に向かった。この頃には日本の艦船はほとんど撃沈されたか燃料不足などでほとんど逼塞していたが、いるところにはいた。5月2日午後、レイトンは北緯37度24分 東経123度50分 / 北緯37.400度 東経123.833度 / 37.400; 123.833の地点で護衛艦をつけたタンカー東隆丸(三光汽船、1,992トン)を発見。護衛艦の砲撃をかわしながら魚雷を4本発射し、東隆丸に3本命中させて撃沈。5月12日には北緯37度25分 東経124度00分 / 北緯37.417度 東経124.000度 / 37.417; 124.000の地点で輸送船歴山丸(辰馬汽船、1,311トン)を発見、魚雷を4本発射して1本を命中させて撃沈する。同じ日の昼ごろには小型輸送船を発見して魚雷を3本発射するが命中せず、5月13日夜にも北緯37度25分 東経124度00分 / 北緯37.417度 東経124.000度 / 37.417; 124.000の地点で輸送船を発見して魚雷を4本発射したが、こちらも命中しなかった。5月16日には北緯37度39分 東経124度11分 / 北緯37.650度 東経124.183度 / 37.650; 124.183の地点で2隻の輸送船を発見して魚雷を3本発射し、そのうちの1隻である輸送船永寿丸(木原商船、2,456トン)に2本命中させてこれを撃沈した。5月18日、レイトンは北緯37度26分 東経125度11分 / 北緯37.433度 東経125.183度 / 37.433; 125.183の地点で輸送船を発見して魚雷を4本発射したが、命中しなかった。5月25日、レイトンは47日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投。潜水母艦プロテウス(英語版) (USS Proteus, AS-19) による修理を受けた。艦長がガイ・F・ガリオタ少佐(アナポリス1938年組)に代わった。 6月22日、レイトンは8回目の哨戒で香港沖に向かった。香港沖では主に洋上に不時着した攻撃機などに対する支援活動に従事したが、レイトンの担当海域に不時着した航空機は皆無だった。また、日本の艦船との遭遇はついになかった。7月23日、レイトンは32日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。次回哨戒の準備中に終戦を迎えたレイトンは、8月31日にスービック湾を後にしてアメリカ本国に向かい、9月中旬にサンフランシスコに到着した。
※この「第7、第8の哨戒 1945年4月 - 7月」の解説は、「レイトン (潜水艦)」の解説の一部です。
「第7、第8の哨戒 1945年4月 - 7月」を含む「レイトン (潜水艦)」の記事については、「レイトン (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第7、第8の哨戒 1945年4月 - 7月のページへのリンク