第7、第8の哨戒 1945年5月 - 9月とは? わかりやすく解説

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第7、第8の哨戒 1945年5月 - 9月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 16:05 UTC 版)

アポゴン (潜水艦)」の記事における「第7、第8の哨戒 1945年5月 - 9月」の解説

5月28日オーバーホール終えたアポゴンは7回目哨戒でカベゾン (USS Cabezon, SS-334) とウルフパック構成し千島列島方面向かった6月18日、アポゴンとカベゾンの2隻は北緯5023東経15506分 / 北緯50.383度 東経155.100度 / 50.383; 155.100の幌筵島南西端沖で幌筵島から出てたばかり輸送船団発見し、アポゴンはそのうちの1隻に対して2本の魚雷発射し、うち1本が目標船の中央部命中目標船尾から沈んでいった。これが、かつては日清戦争日露戦争時病院船で、のちに小林多喜二の『蟹工船』のモデルとなった博愛丸日本海洋漁業、2,614トン)の最期であった。カベゾンももう1隻の輸送船である蔵王山丸(川崎汽船、2,631トン)を撃沈し、この船団護衛艦残して全滅した7月2日には、北緯4928東経15419分 / 北緯49.467度 東経154.317度 / 49.467; 154.317の地点で第58号駆潜特務艇、第65号潜特務艇と交戦して損傷与えた7月14日、アポゴンは48日間行動終えてミッドウェー島帰投した。 8月7日、アポゴンは8回目哨戒南鳥島近海向かった。しかし、一週間後の8月15日戦争終了したためこの哨戒攻撃を行うことはなかった。9月2日、アポゴンは26日間の行動終えて真珠湾帰投した。これがアポゴンの最後哨戒となった

※この「第7、第8の哨戒 1945年5月 - 9月」の解説は、「アポゴン (潜水艦)」の解説の一部です。
「第7、第8の哨戒 1945年5月 - 9月」を含む「アポゴン (潜水艦)」の記事については、「アポゴン (潜水艦)」の概要を参照ください。

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