第7、第8の哨戒 1945年5月 - 9月
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「アポゴン (潜水艦)」の記事における「第7、第8の哨戒 1945年5月 - 9月」の解説
5月28日、オーバーホールを終えたアポゴンは7回目の哨戒でカベゾン (USS Cabezon, SS-334) とウルフパックを構成し千島列島方面に向かった。6月18日、アポゴンとカベゾンの2隻は北緯50度23分 東経155度06分 / 北緯50.383度 東経155.100度 / 50.383; 155.100の幌筵島南西端沖で幌筵島から出てきたばかりの輸送船団を発見し、アポゴンはそのうちの1隻に対して2本の魚雷を発射し、うち1本が目標船の中央部に命中、目標は船尾から沈んでいった。これが、かつては日清戦争、日露戦争時の病院船で、のちに小林多喜二の『蟹工船』のモデルとなった博愛丸(日本海洋漁業、2,614トン)の最期であった。カベゾンももう1隻の輸送船である蔵王山丸(川崎汽船、2,631トン)を撃沈し、この船団は護衛艦を残して全滅した。7月2日には、北緯49度28分 東経154度19分 / 北緯49.467度 東経154.317度 / 49.467; 154.317の地点で第58号駆潜特務艇、第65号駆潜特務艇と交戦して損傷を与えた。7月14日、アポゴンは48日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 8月7日、アポゴンは8回目の哨戒で南鳥島近海に向かった。しかし、一週間後の8月15日に戦争が終了したためこの哨戒で攻撃を行うことはなかった。9月2日、アポゴンは26日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。これがアポゴンの最後の哨戒となった。
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