日露戦争時とは? わかりやすく解説

日露戦争時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 00:48 UTC 版)

伊地知幸介」の記事における「日露戦争時」の解説

日露戦争開戦直前明治37年1904年1月野戦砲兵であった伊地知は突然本職免じられ韓国公使館付武官となる。日露開戦にあたりロシア帝国機先を制するため、参謀本部有為人物韓国派遣して情報任務特別任務従事させたが、この一員であった開戦初頭大陸進出容易に行うため、韓国臨時派遣隊木越旅団)の宿舎準備などが行われた。また臨時派遣隊到着翌日控えた2月8日晩餐会を開くといった欺瞞行為実行した翌日9日仁川沖海戦の後、臨時派遣隊は無事上陸果たした開戦後生じたロシア公使及び公使館護衛部隊の処理という問題解決についても、伊地知尽力大きかった伊地知フランス語堪能であり、西洋風俗習慣精通していたことから、外国人間において特に信任得ていたという。また、当時日韓両国間での難問であった日韓議定書締結問題についても関与しており、2月頃に韓国内反対派李容翊)を排除することに成功している。伊地知公使館付武官としての任期は二か月のみで、同年3月には帰国し再度野戦砲兵監に任じられるその後旅順要塞攻撃のために編成され第3軍総司令官乃木希典大将)の参謀長就任した旅順攻略戦推移状況旅順攻囲戦の項を参照のこと)。 第3軍は、大連から遼東半島西進してゆく過程ロシア軍防禦陣地との戦闘幾度も経験しロシア軍防御堅固であることを十分に認識していた。為に伊地知慎重な態度を取るようになった第3軍7月30日にはロシア軍要塞内へ追いやり包囲完成させた。包囲後まもなくの8月4日満州軍総司令部参謀井口省吾少将第3軍司令部訪問をする。「旅順攻撃時日短縮スベキコト」を要請する参謀総長山縣有朋からの書簡手渡すためであった大本営出来るだけ早く旅順艦隊処理し監視拘束されている日本艦隊自由にしたい、また第3軍早期北方戦線加入させたいという思惑があり、また旅順要塞攻略楽観視していたため、「急襲速攻主張」した。しかし、遼東半島各地での戦闘ロシア軍堅固な防御実戦経験し慎重な態度をとるようになっていた伊地知第3軍側は、「急進突撃一挙これを陥る如きは必敗を免れざる」と頑として拒否した。「井口伊地知少将旅順要塞攻撃意見絶対に相違したるために、談論逐次激越に陥り、遂に腕力沙汰にも及びかねまじき勢いであったという」と伝えられる。この談論は、計画時日より三日だけ早めるということ決着した包囲後軍司令部柳樹房なる場所に置かれた。ここもしばしば敵弾見舞われる場所であったが、第一回総攻撃にあたって戦闘司令所は激戦地となった東鶏冠山北堡塁から3kmという場所(団山子東北高地)にまで進められ、主にここで指揮取られた。総攻撃攻撃方法は「強襲法」が選択された。この選択にあたっては、当時、「フォン・ザウエルの強襲戦法」なるものが兵学界を風靡していた事が影響していると思われる旅順要塞は各保塁コンクリート当時仏語ベトン呼ばれていた)で囲い堡塁間には塹壕掘って鉄条網敷いた防御線を3重に渡って施設した近代要塞で、機関銃大砲地雷をもって防禦されており、第一回総攻撃大損害を被り東西盤龍堡塁確保という戦果留まり失敗終わった総攻撃中止後柳樹房にて以後攻撃方法議論された。軍司令部側は強襲法を取りやめ、兵站参謀井上幾太郎工兵少佐提案する正攻法切りかえる案を提案したが、実戦部隊である各師団代表は強襲法の継続主張した議論決を採るべき立場伊地知採決を取ることができず、最終的に乃木決断によって正攻法採用決着した内地では大口径砲旅順戦に用いることが決定され二十八糎榴弾砲6門が配属されることになった。これは9月上旬到着し10月初頭には試射が行われている。更に6門が増加配属され中旬に更に6門が増加配属となり、合計18門が旅順攻囲戦使用されることになった攻囲戦途中攻略が遅いことを理由満洲軍総司令部大本営から第3軍司令部人事刷新意見出されたこともあったが、明治天皇大山巌反対により却下され攻略戦終結まで第3軍参謀長として任務全うした攻略戦後は旅順要塞司令官任命され参謀長としての職務終えた日露戦争終結後国内凱旋は、北方より帰還する第3軍司令部同道した

※この「日露戦争時」の解説は、「伊地知幸介」の解説の一部です。
「日露戦争時」を含む「伊地知幸介」の記事については、「伊地知幸介」の概要を参照ください。

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