第7、第8の哨戒 1944年6月 - 9月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 14:34 UTC 版)
「サンフィッシュ (潜水艦)」の記事における「第7、第8の哨戒 1944年6月 - 9月」の解説
6月22日、サンフィッシュは7回目の哨戒で千島列島方面に向かった。7月5日午後、サンフィッシュは北緯51度28分 東経156度28分 / 北緯51.467度 東経156.467度 / 51.467; 156.467の幌筵島近海で輸送船神明丸(栗林商船、2,577トン)を発見する。目標が近くを航行していたソ連船ではないことを確認したのち、魚雷を3本発射して1本を命中させた。夜に入って浮上し、さらに魚雷を3本発射し1本をもって止めとした。7月7日には、北緯47度37分 東経152度39分 / 北緯47.617度 東経152.650度 / 47.617; 152.650の地点で、少なくとも14隻のトロール船とサンパンの船団を発見し、浮上砲戦でことごとく破壊しつくした。7月9日朝には北緯51度19分 東経155度43分 / 北緯51.317度 東経155.717度 / 51.317; 155.717の阿頼度島近海で2隻の「吹雪型駆逐艦」を配したキ504船団を発見し、大型輸送船と中型輸送船に対して魚雷を3本ずつ発射。魚雷は陸軍輸送船太平丸(太洋海運、6,284トン)に命中してこれを撃沈した。8月1日、サンフィッシュは40日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 8月20日、サンフィッシュは8回目の哨戒で東シナ海方面に向かった。8月31日未明、サンフィッシュは北緯30度55分 東経140度03分 / 北緯30.917度 東経140.050度 / 30.917; 140.050の地点で3隻の中型上陸艦艇を発見し、魚雷を1本だけ発射したが、命中した様子はなかった。9月10日昼ごろには、北緯33度49分 東経127度14分 / 北緯33.817度 東経127.233度 / 33.817; 127.233の巨文島南方19海里地点でミ19船団を発見。2隻の輸送船に対して魚雷を3本と2本の計5本発射し、魚雷はタンカー千早丸(日本郵船、4,710トン)に3本が命中、千早丸は船首の一部を海上に露出した状態で沈没した。9月12日夜、サンフィッシュは北緯34度44分 東経125度01分 / 北緯34.733度 東経125.017度 / 34.733; 125.017の地点で節船団を発見し、日付が9月13日になった直後に魚雷を5本発射したが、命中しなかった。節船団を追跡したまま13日夜に入り、北緯34度31分 東経124度46分 / 北緯34.517度 東経124.767度 / 34.517; 124.767の小黒山島北西55キロ地点で再び魚雷を4本と3本、2本の計9本発射。魚雷は輸送船江田島丸(日本郵船、6,933トン)に2本が命中して船体を分断させ、江田島丸の前半部は沈没していったが、後半部は長江河口まで流れ着き、30日になってようやく沈没した。3時間後に三度目の攻撃で魚雷を4本発射したが、この攻撃に効果はなかった。9月19日、サンフィッシュは北緯30度32分 東経151度36分 / 北緯30.533度 東経151.600度 / 30.533; 151.600の地点で2隻の大型哨戒艇を発見し、浮上砲戦を行った。9月27日、サンフィッシュは38日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
※この「第7、第8の哨戒 1944年6月 - 9月」の解説は、「サンフィッシュ (潜水艦)」の解説の一部です。
「第7、第8の哨戒 1944年6月 - 9月」を含む「サンフィッシュ (潜水艦)」の記事については、「サンフィッシュ (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第7、第8の哨戒 1944年6月 - 9月のページへのリンク