第7、第8の哨戒 1943年5月 - 9月とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第7、第8の哨戒 1943年5月 - 9月の意味・解説 

第7、第8の哨戒 1943年5月 - 9月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 17:44 UTC 版)

ポラック (潜水艦)」の記事における「第7、第8の哨戒 1943年5月 - 9月」の解説

5月10日ポラック7回目哨戒マーシャル諸島方面向かった5月16日アイルック環礁を、翌5月17日ウォッジェ環礁それぞれ偵察続いてウォッジェ環礁トートン水道(シシュマレフ水道西方哨戒5月18日ポラック北緯0833東経17100分 / 北緯8.550度 東経171.000度 / 8.550; 171.000のマロエラップ環礁エニチュアン水道沖で特設砲艦光島丸飯野海運、3,110トン)を撃沈2日後5月20日午後ポラックジャルート環礁ジャンボール水道付近環礁内に入りつつあった特設巡洋艦盤谷丸(大阪商船、5,350トン)を発見魚雷を4本発射し魚雷命中受けた盤谷丸は轟沈した。護衛駆逐艦反撃出て21発もの爆雷投下した。この攻撃ポラック電池と潜舵が損傷したが、それ以上被害はなかった。6月25日ポラック46日間行動終えて真珠湾帰投した。 7月20日ポラック8回目哨戒日本近海向かった8月6日輸送船団に対して攻撃行ったが、最初の攻撃成功しなかった。続く再攻撃魚雷を1本命中させたと判断された。続いて九州東方沖を哨戒8月27日未明ポラック九州沖でパラオから佐伯に向かうフ806船団発見陸軍船太福丸日本郵船、3,520トン)に向けて魚雷を5本発射し3本船首前方船体の下を通過した残り2本が命中し、太福丸北緯3228東経13223分 / 北緯32.467度 東経132.383度 / 32.467; 132.383の地点沈没したポラック哨戒海域を東に移し一週間後の9月3日夕方北緯3343東経140度00分 / 北緯33.717度 東経140.000度 / 33.717; 140.000の三宅島近海トラックから横須賀向かっていた第4827船団発見そのうちの1隻である特設給炭油船田子の浦丸(三菱汽船、3,521トン)に向けて魚雷3本発射。1本が田子の浦丸に命中し田子の浦丸は船首先にして沈没していった。9月16日ポラック47日間行動終えて真珠湾帰投帰投後、ポラック太平洋艦隊駆逐艦部隊訓練供用され、11月19日から1944年2月8日まで真珠湾海軍工廠オーバーホール入った

※この「第7、第8の哨戒 1943年5月 - 9月」の解説は、「ポラック (潜水艦)」の解説の一部です。
「第7、第8の哨戒 1943年5月 - 9月」を含む「ポラック (潜水艦)」の記事については、「ポラック (潜水艦)」の概要を参照ください。


第7、第8の哨戒 1943年5月 - 9月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 16:42 UTC 版)

スカルピン (SS-191)」の記事における「第7、第8の哨戒 1943年5月 - 9月」の解説

5月24日スカルピン7回目哨戒日本近海向かった6月9日夜、スカルピン北緯3130東経14310分 / 北緯31.500度 東経143.167度 / 31.500; 143.167の東京湾南方孀婦岩近海で、駆逐艦2隻を伴った空母飛鷹発見。6,400メートル遠距離ながら魚雷4本を発射したが、1本は途中で爆発し残り命中しなかった。スカルピン2回目攻撃準備急いだが、その間飛鷹去っていった。6月14日スカルピン貨物船攻撃し損傷与えた判断されたが、護衛艦攻撃回避するため無音潜航余儀なくされた。6月19日スカルピン犬吠埼沖で海軍徴傭漁船第一宮庄丸(宮内庄助79トン)と特設監視艇相模丸神奈川県135トン)を砲撃により撃沈したスカルピンは、哨戒残り期間は東北地方沿岸行動し、何隻かの好目標発見したものの、それらの船は海岸近く航行しており攻撃はできなかった。7月4日スカルピン41日間行動終えてミッドウェー島帰投した。 7月25日スカルピン8回目哨戒東シナ海および台湾海峡方面向かった8月9日朝、スカルピン北緯2459東経12210分 / 北緯24.983度 東経122.167度 / 24.983; 122.167の地点で、高雄向かっていたタ702船団発見し貨客船浙江丸(大阪商船、3,183トン)を撃沈した8月16日および17日には台湾海峡において対潜哨戒艇の攻撃回避する8月21日には北緯2440東経12335分 / 北緯24.667度 東経123.583度 / 24.667; 123.583の地点小型船37隻を引き連れて航行中貨物船発見魚雷3本発射したいずれも不発であった護衛艦直ち反撃しスカルピン潜航余儀なくされ、爆雷攻撃の間に貨物船逃走した同様の魚雷故障9月1日にも生じ魚雷船体命中して生じた水煙確認できたものの、爆発生じなかった。スカルピン護衛艦反撃避けるべく直ち離脱したその後南鳥島偵察行った9月17日スカルピン54日間行動終えてミッドウェー島帰投短期オーバーホールのため真珠湾回航された。艦長がフレッド・コナウェイ中佐アナポリス1932年組)に代わった。

※この「第7、第8の哨戒 1943年5月 - 9月」の解説は、「スカルピン (SS-191)」の解説の一部です。
「第7、第8の哨戒 1943年5月 - 9月」を含む「スカルピン (SS-191)」の記事については、「スカルピン (SS-191)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第7、第8の哨戒 1943年5月 - 9月」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第7、第8の哨戒 1943年5月 - 9月」の関連用語

第7、第8の哨戒 1943年5月 - 9月のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第7、第8の哨戒 1943年5月 - 9月のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのポラック (潜水艦) (改訂履歴)、スカルピン (SS-191) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS