第7、第8、第9の哨戒 1943年5月 - 12月
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「スピアフィッシュ (サーゴ級潜水艦)」の記事における「第7、第8、第9の哨戒 1943年5月 - 12月」の解説
5月26日、スピアフィッシュは7回目の哨戒でトラック諸島方面に向かった。7月12日、スピアフィッシュはエニウェトク環礁近海で駆逐艦江風と交戦し、発射した3本の魚雷が命中しなかったにもかかわらず、江風は損傷を報じた。この哨戒では他にエニウェトク環礁の写真偵察を行い、続いて南鳥島の付近を哨戒した。江風との交戦以外の攻撃は、6月20日には空母に対して、6月28日には貨物船に対してそれぞれ魚雷を発射したものの、どちらの攻撃も成功しなかった。8月1日、スピアフィッシュは57日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投。艦長がジョゼフ・W・ウィリアムズ・ジュニア少佐(アナポリス1933年組)に代わった。 8月25日、スピアフィッシュは8回目の哨戒で日本近海に向かった。スピアフィッシュは豊後水道南方で輸送航路を探索した。9月10日から11日にかけての夜、スピアフィッシュは北緯30度56分 東経132度47分 / 北緯30.933度 東経132.783度 / 30.933; 132.783の地点で、パラオに向かう8隻の貨物船と護衛の駆逐艦春風および特設掃海艇第六玉丸(西大洋漁業、275トン)から成るオ008船団を発見。スピアフィッシュは4隻の輸送船に魚雷を発射し、陸軍輸送船津山丸(日本郵船、6,962トン)を撃破した。その後1日中爆雷攻撃を受けたものの、結局護衛艦の攻撃を回避した。9月17日から18日にかけての夜にも、スピアフィッシュは北緯29度08分 東経134度29分 / 北緯29.133度 東経134.483度 / 29.133; 134.483の地点で、7隻の輸送船および護衛艦から成るオ608船団に対して攻撃を行い、護衛の水雷艇鷺に魚雷2本を命中させたと判断されたが不発だった。また、他に2隻を撃沈したとされた。10月12日、スピアフィッシュは47日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 11月7日、スピアフィッシュは9回目の哨戒でマーシャル諸島方面に向かった。スピアフィッシュはガルヴァニック作戦に協力し、11月18日から12月13日までの間、上陸侵攻に備えてジャルート環礁、ウォッジェ環礁およびクェゼリン環礁に対する写真偵察を行った。また、12月5日および6日にはクェゼリン環礁とウォッジェ環礁に対する空襲部隊支援(マーシャル諸島沖航空戦)のための救助艦任務を行った。12月19日、スピアフィッシュは41日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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第7、第8、第9の哨戒 1943年5月 - 12月
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「サーゴ (潜水艦)」の記事における「第7、第8、第9の哨戒 1943年5月 - 12月」の解説
5月27日、サーゴは7回目の哨戒でトラック諸島近海に向かった。トラックとグアムおよびサイパン島間の航路帯を哨戒。6月13日夜、サーゴはヤップ島近海でラバウルからパラオに向かうオ704船団を発見。サーゴは潜航したまま攻撃を行い、陸軍輸送船甲南丸(木原商船、5,226トン)を撃沈した。甲南丸撃沈後、サーゴは周囲を観測して艦艇がいないのを確認してから浮上する。朝になってオ704船団を再び発見し、昼ごろには2隻の輸送船に対して雷撃を行ったものの、護衛の駆潜艇が反撃に出て爆雷攻撃を行う。この反撃により前部の一番発射管が使用不能となった他、空気系統も損傷したが、修理して切り抜けた。6月17日にも4隻の輸送船と1隻の小型タンカーからなる輸送船団を発見するも、攻撃ポジションをとる事が出来なかった。7月9日、サーゴは43日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投した。 8月1日、サーゴは8回目の哨戒でトラック近海およびマリアナ諸島方面に向かった。しかしながら、ウェーク島近海を航行中の8月6日に三番主電動機のケーブルがショートする事故が起きる。応急修理が行われるも、三番主電動機は出力を抑えたまま使用するほかなかった。この哨戒ではトラック北方、次いでサイパン島およびテニアン島近海で行動したが、目標との接触は多くあれど攻撃は8月29日に一度行われたのみで戦果はなかった。9月15日、サーゴは46日間の行動を終えて真珠湾に帰投。艦長がフィリップ・W・ガルネット少佐(アナポリス1933年組)に代わった。 10月15日、サーゴは9回目の哨戒で東シナ海に向かった。11月9日、サーゴは北緯21度40分 東経131度12分 / 北緯21.667度 東経131.200度 / 21.667; 131.200の地点で、パラオから佐伯に向かっていたフ503船団を発見。陸軍輸送船多賀丸(日之出汽船、2,868トン)に対して魚雷を6本発射。1本が命中し航行不能に陥らせた。多賀丸は乗員等を護衛の駆逐艦皐月に移乗させた後放棄される。サーゴは浮上して多賀丸に対し3インチ砲弾65発を撃ち込んで、これを沈めた。11月11日には、北緯27度40分 東経130度24分 / 北緯27.667度 東経130.400度 / 27.667; 130.400の地点で再びフ503船団に対して攻撃を行い、陸軍輸送船興西丸(朝鮮郵船、3,551トン)を撃沈。翌11月12日、サーゴは興西丸の生存者である将兵5名を救助した。その後はルソン海峡を経て琉球嶼近海で哨戒を継続する。12月9日、サーゴは55日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。
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