撃沈後とは? わかりやすく解説

撃沈後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:41 UTC 版)

祥鳳 (空母)」の記事における「撃沈後」の解説

旗艦鹿島乗艦してトラック泊地からラバウル進出していた南洋部隊指揮官井上成美第四艦隊司令長官は、当時心境について「東郷大将如何ナサレシヤ」と思い出して平静務め、「大事ナ陛下ノ御艦、而モ大事ナ空母最初ニ沈メタノガ自分ダトフト実ニ自責ノ念ニ耐ヘズ切腹シテスムナラ易イコトナルモ、切腹シタッテ沈ンダ艦ヲ如何セン如何ニシテモ申訳ナシ、残念ダ、不運ダトモ思フ」と回想している。連合艦隊参謀長宇垣纏少将陣中日誌戦藻録』の中で、祥鳳沈没について「祥鳳特務艦剱崎改造に依りて本年早々竣工第四艦隊入れたるもの其壽命の短かりしを惜む。同艦飛行機内戰闘機の一部救助せられたるも艦攻如何にせしや。大戰果の夢は去れり。戰は相手あり。思ふ様には行かぬものなり。敵の来襲豫期しある場合今少し統一ある兵力使用出来ざるものや。」と言及している。 真珠湾空襲以降日本軍の攻勢押されていた連合国軍にとって、祥鳳アメリカ軍認識では龍)の撃沈は、日本海軍主力艦艇の初の撃沈であった。その戦果戦意高揚のため大い宣伝されたが、実際に大破だった翔鶴撃沈した錯覚していた。対す日本軍誤認戦果もあって、珊瑚海海戦大勝利宣言している(大本営発表)。祥鳳沈没に関しては、国民動揺抑えるため『給油艦改造せる小型空母』と発表したり、表現している。また第四艦隊司令長官井上成美中将)が受けた衝撃も相当なものだったという。戦史叢書では『兵力不足に加えて、広正面作戦担当していた南洋部隊としては、軽空母とはいえ種々交渉の末ようやく与えられた、虎の子空母であったからであろう。』と結んでいる。上記のように日本軍ポートモレスビー海上攻略構想は本海戦をもって頓挫し珊瑚海海戦アメリカ軍の戦略勝利終わった5月20日航空母艦から祥鳳削除発表された。また水上機母艦瑞穂同日付で軍艦籍から除籍された。

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撃沈後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 02:15 UTC 版)

K XVI (潜水艦)」の記事における「撃沈後」の解説

2003年5月、K XVI残骸発見身体障害者によるスキューバダイビングで行うプロジェクトが行われた。5月9日探索始めた潜水チームは、5月13日慰霊式行い、錨や潜望鏡とみられる船の残骸一部発見したが、K XVIとの確証得られず、5月19日調査打ち切られた。残骸引き上げられず、写真映像オランダ海軍提供され分析進んだが、8月にK XVI残骸という結論得られない発表された。 2004年6月21日から28日にかけて、昨年成果を基に残骸見つかった海域ソナー磁力計による探査が行われた。しかしこの探査でもK XVI残骸は見つからなかった。

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