大本営発表とは? わかりやすく解説

だいほんえい‐はっぴょう〔‐ハツペウ〕【大本営発表】

読み方:だいほんえいはっぴょう

太平洋戦争中大本営国民向けて発表した戦況に関する情報末期には、戦況悪化しているのにもかかわらず優勢あるかのような虚偽発表くり返した。

転じて政府有力者などが発表する自分都合がよいばかりで信用できない情報


【大本営発表】(だいほんえいはっぴょう)

太平洋戦争中日本において、大本営新聞ラジオなどのマスメディア通じて行った公式戦報告のこと。
第1号1941年12月8日午前6時対米開戦真珠湾攻撃など)の第一報報告したもの。
これ以後終戦までに846行われた

発表の形態は、「報道」の形でNHKのアナウンサー読み上げるものと、陸海軍報道部長読み上げるものの2種類があった。
なお、ラジオ放送される場合BGMは、戦勝報告の時は「陸軍分列行進曲陸軍部陸戦)」「軍艦マーチ海軍部:海戦)」「敵は幾万陸海軍共同)」、敗戦報告の時は「海ゆかばであった

戦争初期の頃、大本営行ったこの発表各国中でも群を抜く正確さ誇っていた。
しかし、ミッドウェー海戦以降戦況苦しくなるにつれ、真実戦略的及び戦術的大敗であっても国民士気高めるために大勝利発表するなど、きわめて真実性欠けるものとなってしまった。
これは、ミッドウェー以降パイロット部隊指揮官損耗著しくなり、代わりに前線出た錬度の低い者たちが戦果確認十分にできなかったためでもある。
また、当の大本営自身戦況正確に把握しておらず、混乱する現場からの報告そのまま流したために現実乖離した発表となったケース多く部隊指揮官がそれを信じてしばしば無謀な戦闘突入してしまい、更に悲惨な結果を招くこともあったという。

具体的な例


大本営発表

作者藤森成吉

収載図書辻小説集
出版社ゆまに書房
刊行年月2005.6
シリーズ名帝国戦争文学


大本営発表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/02 04:45 UTC 版)

大本営発表(だいほんえいはっぴょう、旧字体大本營發表)とは、1937年11月から1945年8月までの期間、日中戦争支那事変)および太平洋戦争大東亜戦争)において、大本営が行った戦況の公式発表である。


  1. ^ a b 千早正隆『日本海軍の驕り症候群 下』中公文庫79-81頁
  2. ^ a b 大本営発表 とは”. コトバンク. 2013年8月18日閲覧。
  3. ^ 保阪正康『大本営発表は生きている』 はじめに、p.5より。
  4. ^ 神戸大学 新聞記事文庫 軍事(53-029) 大阪朝日新聞 1941.12.10(昭和16)
  5. ^ 「大本営発表とミッドウェー海戦」 p122 - p128
  6. ^ 「週報 第323号」p.10
  7. ^ 平櫛 2006, p. 168.
  8. ^ 平櫛 2006, pp. 185–186.
  9. ^ 平櫛 2006, p. 188.
  10. ^ 平櫛 2006, p. 207.
  11. ^ 平櫛 2006, p. 199.
  12. ^ 平櫛 2006, pp. 215–216.
  13. ^ 平櫛 2006, pp. 216–217.
  14. ^ 平櫛 2006, p. 219.
  15. ^ 平櫛 2006, p. 231.
  16. ^ 日露戦争史”. t (2020年12月20日). 2020年12月20日閲覧。
  17. ^ 戦史叢書37巻 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 726頁
  18. ^ 平櫛 2006, pp. 45–47.
  19. ^ 「これより我が方の戦死傷者は急速的に増加せしも、後方に砲弾盛に落下するに及び後送すること能わず、仮包帯のまま倒るるまで銃を執る状態なり。乾パン既に尽き、生水を飲み、生米を囓りつつ戦闘を続く」
    「山本部隊の主力には、マラリア或は胃腸病にかかれる者多く、小康を得ありし者も、連日の不眠と糧食の不十分と、更に連夜来襲ある猛烈なスコールに依る湿気等に依り、病気再発する者続出せり」
    「ああ、敵弾に倒れる前に勇士達の多くは病魔のためにあたら戦闘力を失ったのである。『弾丸(たま)に死んでも病に死ぬな』を武人の本懐とする皇軍の勇士達である。その心中は察するだに腸(はらわた)の千切れるものがあるではないか」
    「上陸以来、四箇月、前人未踏のジャングル戦に辛酸労苦の限りを嘗めつくしたわが将兵は、悪性マラリヤと糧食補給難によって体力の消耗憔悴は極限に達していた。数日間の絶食は希ではなかった」
    「部隊長から一兵に至るまで飢餓とたたかい、敵の猛爆、猛砲撃下に曝されながら怒濤のごとく押し寄せる敵軍と対峙した」
    陸軍報道班員手記 ガダルカナルの血戦(昭和18年7月20日発行)
  20. ^ a b 保坂正康『大本営発表は生きている』光文社新書9頁
  21. ^ “時代の証言者/実証史学への道・秦郁彦(2)大本営発表に疑問抱く”. 読売新聞朝刊. (2017年3月15日). https://web.archive.org/web/20170314005041/http://www.yomiuri.co.jp/stream/?id=06011 
  22. ^ 小出康成「起こるべくして起きた“ゆうパック”遅配騒動を他人事のように分析する日本郵便経営陣の「見識」」『週刊ダイヤモンドダイヤモンド社、2010年7月13日。2017年2月24日閲覧。オリジナルの2010年7月14日時点におけるアーカイブ。
  23. ^ 田原総一朗「原発報道は「大本営発表」に頼りすぎている」『日経ビジネス日経BP、2011年3月30日。2014年8月4日閲覧。オリジナルの2011年4月2日時点におけるアーカイブ。
  24. ^ Frontline Press「新聞・TV「政府の言いなり」の何とも呆れる実態」『東洋経済オンライン』東洋経済新報社、2020年4月27日。2021年2月2日閲覧。
  25. ^ 軍人スポークスマンの戦争 〜大本営発表の真実〜”. NHK (2022年12月17日). 2022年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月20日閲覧。


「大本営発表」の続きの解説一覧

大本営発表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 09:01 UTC 版)

台湾沖航空戦」の記事における「大本営発表」の解説

昭和19年10月12日17時20分 「本10月12日7時頃より優勢な敵機台湾来襲15時半頃彼我交戦中なり。我部隊の収めた戦果13時までに判明せる撃墜敵機100機なり」 昭和19年10月13日1130分 「一、我が航空部隊10月12日台湾東方海面に於て敵機部隊捕捉し夜半に亙り反覆之を攻撃せり。我方の収めた戦果中現在迄に判明せるもの左の如し撃沈 航空母艦1隻 艦種不詳1隻 撃破 航空母艦1隻 艦種不詳1隻 「二、我方若干の未帰還機あり」 昭和19年10月14日17時 「我航空部隊爾後引続き台湾東方海面敵機部隊猛攻中にして現在迄に判明せる戦果(すでに発表せるものを含む)左の如し」轟撃沈 航空母艦3隻 艦種不詳3隻 駆逐艦1隻 撃破 航空母艦1隻 艦種不詳1隻 昭和19年10月15日15時台湾東方海面敵機部隊は昨14日東方に向け敗走中にして、我が部隊此の敵に対し反覆猛攻加へ戦果拡充中なり。現在までに判明せる戦果既発表のものを含む)左の如し」轟撃沈 航空母艦7隻 駆逐艦1隻(註)既発表の艦種不詳3隻は航空母艦3隻なりしこと判明せり 撃破 航空母艦1隻 戦艦1巡洋艦1隻 艦種不詳11昭和19年10月16日15時我部隊は潰走中の敵機部隊引続き追撃中にして現在迄に判明せる戦果既発表の分を含む)左の如し」轟撃沈 航空母艦10戦艦2巡洋艦3隻 駆逐艦1隻 撃破 航空母艦3隻 戦艦1巡洋艦4隻 艦種不詳11昭和19年10月17日16時 「我航空部隊は明16日台湾東方海面に於て新たに来援せる敵機部隊追撃し航空母艦戦艦各1隻以上を撃破せり」 昭和19年10月19日18時 「我部隊は10月12日以降連日連夜台湾及「ルソン東方海面敵機部隊猛攻其の過半兵力壊滅して之を潰走せしめたり」 「(一)我方の収めた戦果綜合次の如し」轟撃沈 航空母艦11戦艦2巡洋艦3隻 巡洋艦若(もしく)は駆逐艦1隻 撃破 航空母艦8隻 戦艦2巡洋艦4隻 巡洋艦若は駆逐艦1隻 艦種不詳13撃墜 112機(基地における撃墜含まず) 「(二)我方の損害 飛行機帰還312機」 「(註)本戦闘を台湾沖航空戦呼稱す」 昭和19年10月21日19時 「大元帥陛下には本日大本営幕僚長を召させられ南方方面陸軍最高指揮官連合艦隊司令長官台湾軍司令官対し左の勅語賜りたり」 「勅語 朕カ陸海軍部隊緊密ナル協同ノ下敵艦隊ヲ邀撃奮戦大ニ之ヲ撃破セリ 朕深ク之ヲ嘉尚ス 惟フニ戦局ハ日ニ急迫ヲ加フ汝等協心戮力ヲ以テ朕カ信倚ニ副ハムコトヲ期セヨ

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「大本営発表」を含む「台湾沖航空戦」の記事については、「台湾沖航空戦」の概要を参照ください。


大本営発表

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 04:49 UTC 版)

ラングレー (CV-1)」の記事における「大本営発表」の解説

ラングレー攻撃して致命傷与えた高雄航空隊では、攻撃指揮官が「ラングレー撃沈した」と報告した。しかし参謀はこの報告採用せず、「空母一隻撃破」という評価留めた。またラングレー被爆伝え電文傍受していた日本軍は、沈んだのがラングレーであると推測した。またクリスマス島攻略作戦捕虜にしたラングレー乗組員から、同艦の行動知った。ここで問題生じた日本軍は大本営発表で、同年1月8日に「伊25太平洋ジョンストン島近海ラングレー撃沈した」と報じていた。日本海軍伊25撃沈した艦艇ラングレーでないことに気付いていたが、結局本当ラングレーは大本営発表で「特設航空母艦」と報じられた。

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大本営発表

出典:『Wiktionary』 (2018/04/06 03:11 UTC 版)

名詞

大本営 発表だいほんえいはっぴょう

  1. 戦時中・事変中に設置された大日本帝国最高統帥機関である大本営公報大東亜戦争初期にはほぼ正確発表であったが、後半日本戦果誇張し、不利情報隠蔽した。
  2. 1が転じて、国や会社などが、成果ばかりを誇張したりして、不都合情報隠して発表すること。

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