大本営晴気誠参謀の自決とは? わかりやすく解説

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大本営晴気誠参謀の自決

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 10:48 UTC 版)

サイパンの戦い」の記事における「大本営晴気誠参謀の自決」の解説

大本営陸軍部参謀晴気誠少佐マリアナ方面作戦担当参謀であったが、自らが関与したサイパン水際撃滅作戦破られアメリカ軍上陸許したのを知ると、現地での直接作戦指導直訴した。東條はこの異例な申し出承認したうえ、軍刀激励の辞まで送っている。晴気は硫黄島まで飛行したが、サイパンは敵の制空権下で近づく事ができず、それでもパラシュートでのサイパン降下懇願したがそれも果たせず、失意の上断念している。その後サイパン戦訓活かした島嶼防衛などの作戦指導精励していたが、沖縄戦が始まると何度も特攻志願し第五航空艦隊司令長官宇垣纏中将に、陸軍士官学校同期生羽場安信少佐通じて国軍悲境サイパン失陥よるもので、その責は自分にある」として特攻志願直談判しようとしたが、このときは羽場から止められている。その後終戦迎えたが、8月16日夜に晴気は羽場に「誰にも頼むわけにはいかぬ、迷惑だろうが見届けてくれ」「男の頼みだ、立ち会ってくれ」と自決見届け懇願羽場思いとどまるよう説得したが、晴気は翻意することなく最後羽場の方が折れて自決見届け了承した2人8月17日夜明け市ヶ谷台大正天皇御野立所まで行くと、羽場見届けるなか晴気は軍刀割腹したのち拳銃自決した家族宛てた遺書8月10日付けであり、晴気は終戦前に自決決心していた。その遺書には「サイパンにて散るべかりし命を今日まで永らえてきた予の心中を察せられよ・・・」とサイパンでの作戦指導責任最期まで感じていた事が記されていた。

※この「大本営晴気誠参謀の自決」の解説は、「サイパンの戦い」の解説の一部です。
「大本営晴気誠参謀の自決」を含む「サイパンの戦い」の記事については、「サイパンの戦い」の概要を参照ください。

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