作戦指導
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 23:10 UTC 版)
連合艦隊は第一航空艦隊から、連合艦隊が敵情を把握し米機動部隊の動向は機を逸せず通報するように懇願されて、重要な作戦転換は連合艦隊司令部から一航艦に発せられることになっていた。また、機密連合艦隊命令作第14号には、主力部隊の内地出撃から帰投までの太平洋方面の敵情通報は東京から放送することが定められ、東京には連合艦隊通信部隊の中枢に第1連合通信隊司令官柿本権一郎少将がいた。 しかし、連合艦隊は付近に敵空母の疑いを感じ、情勢が緊迫してきたと判断しながら甘い状況判断の放送を東京から全部隊に流したまま、自己判断を麾下に知らせなかった。そのため、第一航空艦隊は敵潜水艦に発見された情報も知らされず、その後の敵の緊急信増加、動きの活発化が何を意味するのか判断がつかず、敵がこちらの企図を察知していないもの、敵空母はハワイにあるものとして行動することになった。連合艦隊の宇垣参謀長は海戦後の日記に第一航空艦隊に対して「当司令部も至らざる処あり相済まずと思慮しあり」と残している。機動部隊の草鹿参謀長は、大和が無線封止を徹底し機動部隊に敵情を伝えなかったのは本末転倒であると批判している。
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