旅順での勇戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 04:25 UTC 版)
彼の武名を一躍世に知らしめたのが日露戦争での旅順攻囲戦である。歩兵第6旅団長として参加した彼は第一次総攻撃では盤竜山東西堡塁を攻撃し配下の大内守静歩兵第7連隊長が戦死する程の死闘となるも占領に成功。日本軍で唯一目標の占領に成功した。 続く第二次総攻撃でも無名の1保塁(日本側呼称「P保塁」)を占領する武功を挙げその功によりこの保塁は「一戸保塁」と呼ばれるようになった。 なお、一戸は上級司令部である第三軍司令部の作戦指導に対して当初は懐疑的だったそうである。しかし、奉天会戦後に第三軍参謀長となり、当時の作戦日誌を読み返した結果、当時の司令部の作戦指導は妥当であったと得心した、と戦後に述懐している。
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