旅路において
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 17:33 UTC 版)
西行戻し 各地に「西行戻し」と呼ばれる逸話が伝えられている。共通して、現地の童子にやりこめられ恥ずかしくなって来た道を戻っていく、というものである。松島「西行戻しの松」 秩父「西行戻り橋」 日光「西行戻り石」 甲駿街道「西行峠」 鴫立沢 奥州下りの折、神奈川県中郡大磯町の旧宿場町(江戸時代における相模国淘綾郡大磯宿、幕藩体制下の相州小田原藩知行大磯宿)の西端(江戸時代における淘綾郡西小磯村付近、幕藩体制下の寺社領相州西小磯村付近、鎌倉時代における相摸国餘綾郡内)の海岸段丘を流下する渓流にて、下記を詠んだと伝えられる。 《原歌》 ※字は旧字体。振り仮名は歴史的仮名遣。振り仮名とスペースは現代の補足。 心なき 身にもあはれは しられけり .mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}鴫(しぎ)立(た)つ澤(さは)の 秋の夕(ゆふ)ぐれ《口語解釈例1:一般的解釈》 角括弧[ ]内は補足文。[私のような]風流を解する心まで捨てたはずの出家の身であっても、しみじみとした趣は自然と感じられるものだなあ。鴫(しぎ)が飛び立つ沢の夕暮れよ。《口語解釈例2:白洲正子の解釈》 角括弧[ ]内は補足文。物の哀れを知ることが不十分な[私のような]身であっても、しみじみとした趣は自然と感じられるものだなあ。鴫が飛び立つ沢の夕暮れよ。 「鴫立沢(しぎたつさわ、旧字体表記:鴫立澤、古訓:しぎたつさは)」は「鴫の飛び立つ沢」を意味するだけの、ありふれた地名であったろうが、いつしかこの地は西行の歌にちなんでその名で呼ばれるようになったと思われる。時を下り、伝承にあやかって江戸時代初期の寛永年間(1624-1645年間)に結ばれた「鴫立庵」が今も残る。 伊勢神宮で詠んだとされる歌 伊勢神宮を参拝した時に詠んだとされる歌は、日本人の宗教観を表す一例に挙げられる。古来、西行の歌か否か真偽のほどが問われていた歌であるが、延宝2年(1674年)板本系統の『西行上人集』に収録されている。 何事(なにごと)の おはしますをば しらねども かたじけなさに 淚(なみだ)こぼるる ──『西行上人集』 源頼朝との出会い 頼朝に弓馬の道のことを尋ねられて、「一切忘れはてた」ととぼけたといわれている。 頼朝から拝領した純銀の猫を、通りすがりの子供に与えたとされている。
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