旅費節約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 04:24 UTC 版)
交通費の大方は周遊券で賄えたが、国鉄線・国鉄バス(周遊券利用可能)で行けない地域には一般の路線バスを利用せねばならず、その節約のためにヒッチハイクを用いる事例もあった。 宿代と食費は、カニ族にとっての難題であった。 食事と就寝場所が廉価に提供されるユースホステルは、北海道内で1965年(昭和40年)以降急激に増え、1970年(昭和45年)ころにはおよそ100箇所の施設が存在した。ユースホステルは旅行者同士の交流場所となることもあって人気は高く、各人お気に入りのユースホステルでは長期滞在をすることもあった。畳やカーペットなどが敷かれているだけで、最低限雑魚寝できるのみの簡易な民宿がカニ族向けに開設される例もあった。また、帯広市の「カニの家」のように、駅の近くに簡易宿泊所ができた例もあった。 しかし、ユースホステルや簡易宿泊所ですら費用がかかると考える者は、より徹底した節約策を用いた。当時、深夜 - 早朝帯に夜行列車が発着するため、待合室を終夜利用可能としていた駅が多く、このような駅の待合室もカニ族によく利用された。これはSTB(ステーションビバーク)と呼ばれ、書籍も発行されている。無論、テントや寝袋を用いて野宿する者も少なくなかった。 また旅程中、旅費が乏しくなると、旅先で牧場作業の手伝い、昆布採りなどの泊まり込みアルバイトを行い、宿代・食費を節約しつつ金銭を稼ぐ者もあった。 食費は概して切り詰められがちで、各地の名物を食べる余裕もなく、食パンやインスタントラーメン、立ち喰いそば・うどんなどで腹を満たす侘びしいカニ族が珍しくなかった。
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