第二次総攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 21:40 UTC 版)
「ガダルカナル島の戦い」の記事における「第二次総攻撃」の解説
戦車や重砲はとてもジャングル内の迂回路を進むことは出来ないため、陽動隊に配属された。その数は、水上機母艦日進などで輸送された野砲7門・九一式十糎榴弾砲4門・九六式十五糎榴弾砲15門・九二式十糎加農3門などにすぎず、戦車は独立戦車第1中隊が九五式軽戦車及び九七式中戦車合わせて10数輌を持つだけであり、何よりも砲弾が不足していた。ジャングルの迂回路を進む主力には歩兵砲・山砲・速射砲・迫撃砲など小型で軽量の砲が配属されていたが、人力担送は困難を極め、大半は進撃路の遙か後方に取り残され、戦闘には間に合わなかった。 こうした状況にも係らず第2師団は「23日にはガダルカナルの占領を完了。ツラギ、レンネル、サンクリストバルに転進し、これを占領する予定なり」という意の電報を大本営に送っていた。 10月24日に陸軍はバラバラにアメリカ軍陣地に攻撃を掛けた。川口少将を罷免したことで右翼方面の連絡系統は著しく混乱し、飛行場の1キロ手前まで到達したところで司令部に作戦成功を意味する「バンザイ」の電報を送った。これはもちろん誤報であったが、将校一同は「御芽出度う」と交歓し合い、井本参謀は日誌の一頁を覆う大文字で「天下一品の夜」と記した。 陸軍のガ島総攻撃に呼応して支援攻撃を行うことになっていた外南洋部隊(第八艦隊)は、外南洋部隊麾下の第6駆逐隊司令山田勇助大佐が指揮する駆逐艦3隻(暁、雷、白露)と、第四水雷戦隊(司令官高間完少将)が24日深夜から25日朝にかけてルンガ泊地に突入する。突撃隊は小型輸送船1隻・仮装巡洋艦1隻の撃沈を記録した。続いて海兵隊陣地に対して艦砲射撃を開始するが、海兵隊陣地の5インチ海岸砲からの反撃と緊急発進したF4Fワイルドキャット戦闘機の機銃掃射で損傷、銃撃で被害を受けた。 突撃隊は無事にルンガ泊地から脱出したが、続いてガ島に突入しようとした高間完第四水雷戦隊司令官指揮下の6隻(秋月〈四水戦旗艦〉、由良、村雨、五月雨、夕立、春雨)はヘンダーソン飛行場から飛来したアメリカ軍SBDドーントレス急降下爆撃機とF4Fワイルドキャット戦闘機の波状攻撃を受け、秋月が中破、由良が沈没している。 左翼方面は敵に突撃し、哨戒線を突破したが砲火にさらされ大損害を出した。25日から26日朝にかけて第2師団は繰り返し夜襲をかけたが、装備の不足などから猛砲火を浴び戦傷含めた損害は半数以上と壊滅状態に陥った。25日からは飛行場から発進した米攻撃機による空襲が始まり、高級将校多数が戦死した。ラバウル基地の日本海軍航空部隊の零戦は飛行場占領の誤報を受けガダルカナル基地を目指したが、占拠したはずの飛行場からF4Fが迎撃してきたため混乱に陥った。 陽動のため海岸線沿いを進んでいた住吉支隊では、住吉正少将が作戦の拡大を急遽決定し、戦車部隊にマタニカウ河の渡河を命じた。これに対し米軍は37mm対戦車砲や75mm自走砲を配備して日本軍を待ち構えていた。戦車隊は河の中央付近で十字砲火を浴びて次々に撃破され、対岸にたどり着いた2輌も地雷で動けなくなったところを75mm自走砲に撃破された。 10月26日には師団参謀がガダルカナル奪回は不可能との旨を辻政信参謀に報告し、作戦は中止された。戦闘における全体の戦死者については資料がなく不明であるが、第2師団麾下の歩兵第29連隊では兵員2,554名に対し戦死・行方不明553名となっている。
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