第二次総攻撃: アウステン山迂回
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「松本博 (陸軍軍人)」の記事における「第二次総攻撃: アウステン山迂回」の解説
10月11日朝、松本は第2師団参謀長玉置温和大佐とともに903高地へ敵情視察を行い第2師団司令部幕僚会議へ向った。松本は、軍戦闘司令所に出頭し「山地の森林は密度大ならず、迂回作戦可能の如し」と報告し、「坐して餓死するより迂回奇襲を採るべし」と辻参謀に述べた。第17軍司令官百武晴吉中将は、ガダルカナル島上陸後に知ったマタニカウ川西岸高地の喪失、第2師団の戦力の低下、軍需品の海上輸送状況等を考慮して攻撃計画の変更を研究していたが、松本からの報告を受領し、小沼治夫大佐)に地形一般を確認させ、10月12日に「正面による組織的な攻撃」を改め、「奇道による迂回急襲攻撃」を採用した、という。松本は、意見具申の背景として「当時飛行場南方一帯に陣地があるとは考えなかった」と回想している。 一方、滝沢市郎は、10月11日朝、松本は玉置とともに903高地へ敵情視察から第2師団司令部幕僚会議へ向ったが、そこには大本営参謀辻政信が待っており、第2師団の参謀達が辻参謀の権謀術策に引っ掛けられた、と主張している。昭和56年10月にガダルカナル島へ慰霊に訪れた際、滝沢の「アウステン山南西麓はほんとうに見えたのか?」という質問に、松本は「君、仕様がなかったんじゃよ」と、「第十七軍司令部に出頭する前に第二師団司令部で師団の幕僚会議を開いた筈ですが?」との質問に「その通りだ」、「その席上に辻参謀が同席していて、迂回作戦を主張したのではないか?」との質問に対しては「そんなことはないよ」、「それでは第二師団の参謀が迂回作戦を主張したのですか?」との質問には反論もせず黙したままであった、という。また、「迂回作戦を推進するに当たって、第一線の将兵の携行食は七日分しか持っていない事を知っていたのか」と質問すると、松本は「そりゃあ知っとったよ。七日以降は食い延ばせばいいじゃないか。君そうだろ」と返した、という。
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