第二次総攻撃: アウステン山迂回とは? わかりやすく解説

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第二次総攻撃: アウステン山迂回

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/24 20:16 UTC 版)

松本博 (陸軍軍人)」の記事における「第二次総攻撃: アウステン山迂回」の解説

10月11日朝、松本第2師団参謀長玉置温和大佐とともに903高地敵情視察行い第2師団司令部幕僚会議へ向った。松本は、軍戦闘司令所に出頭し山地森林密度大ならず、迂回作戦可能の如し」と報告し、「坐して餓死するより迂回奇襲を採るべし」と辻参謀述べた第17軍司令官百武晴吉中将は、ガダルカナル島上陸後知ったマタニカウ川西岸高地喪失第2師団戦力の低下軍需品海上輸送状況等を考慮して攻撃計画変更研究していたが、松本からの報告受領し小沼治夫大佐)に地形一般確認させ、10月12日に「正面による組織的な攻撃」を改め、「奇道による迂回急襲攻撃」を採用した、という。松本は、意見具申背景として「当時飛行場南方一帯陣地があるとは考えなかった」と回想している。 一方滝沢市郎は、10月11日朝、松本玉置とともに903高地敵情視察から第2師団司令部幕僚会議へ向ったが、そこには大本営参謀辻政信待っており、第2師団参謀達が辻参謀権謀術策引っ掛けられた、と主張している。昭和56年10月ガダルカナル島慰霊訪れた際、滝沢の「アウステン山南西麓ほんとうに見えたのか?」という質問に、松本は「君、仕様がなかったんじゃよ」と、「第十軍司令部出頭する前に第二師団司令部師団幕僚会議開いた筈ですが?」との質問に「その通りだ」、「その席上辻参謀同席していて、迂回作戦主張したではないか?」との質問に対しては「そんなことはないよ」、「それでは第二師団参謀迂回作戦主張したのですか?」との質問には反論もせず黙したままであった、という。また、迂回作戦推進する当たって第一線将兵携行食七日分しか持っていない事を知っていたのか」と質問すると、松本は「そりゃあ知っとったよ。七日以降食い延ばせいいじゃないか。君そうだろ」と返した、という。

※この「第二次総攻撃: アウステン山迂回」の解説は、「松本博 (陸軍軍人)」の解説の一部です。
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