第二次総攻撃までとは? わかりやすく解説

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第二次総攻撃まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 21:40 UTC 版)

ガダルカナル島の戦い」の記事における「第二次総攻撃まで」の解説

1942年9月17日陸軍参謀総長杉山元陸軍大将大元帥である昭和天皇ガダルカナル島の戦いについて以下のように上奏している。 川口支隊攻撃不成功要因ジャングル利用した奇襲重点を置きすぎ、連絡不十分なまま戦力統合運用しなかったためであること 連合軍防御組織とりわけ物的威力予想上であり、同島では今後まったくの力押しによる戦闘求められること この戦い受けて第17軍に、関東軍支那派遣軍などから20単位戦車砲兵戦力転用編入し戦機である10月中にガダルカナル飛行場奪回するべきこと ガダルカナル島の戦いにおいては陸海軍戦力統合発揮する必要があると しかしこの上奏文をもとに作成され大陸命688号による兵力転用当時日本軍海上輸送能力超えたものであった重火器大発による「蟻輸送」により送り込む計画破綻すると、10月1日からの駆逐艦による「鼠輸送」だけでは、兵站線途上ショートランド島から先に充分な重火器弾薬供給できなかった。 そこで10月中旬に、機動部隊護衛戦艦部隊によるヘンダーソン飛行場艦砲射撃の間接支援で、ガダルカナル島タサファロング沖に大挙6隻の高速貨物船での揚陸企図することになる。10月7日には、先に到着していた増援歩兵第4連隊が、ヘンダーソン飛行場射程下におさめるために不可欠なマタニカウ川東岸への進出図った。しかし連合軍予想外反撃遭い第2次総攻撃前に戦力3分の2にあたる2個大隊壊滅的な打撃受けてマタニカウ川西岸撃退されてしまった。 10月初旬百武晴吉中将以下の第17軍戦闘司令部ガダルカナル島進出し第2師団師団長丸山政男中将)が同島に派遣された。作戦目標は、飛行場挟んで川口支隊とは反対側の西側上陸し飛行場占領することであった川口支隊輸送時ネックとなった船団護衛について、海軍ヘンダーソン飛行場基地については戦艦及び巡洋艦艦砲射撃による破壊を行う事とし、さらに米空母出撃備えて第3艦隊空母翔鶴瑞鶴)が10月11日以降トラック島出撃ガダルカナル島北方海面進出することとなった詳細は「サボ島沖海戦」を参照 10月11日ガダルカナル島対す重火器輸送とその支援のため、第六戦隊基幹とする艦隊出動する輸送部隊城島高次海軍少将指揮下の水上機母艦2隻(《日進》《千歳》)と駆逐艦6隻(《秋月》、第19駆逐隊綾波》、第11駆逐隊第1小隊白雪叢雲》、第9駆逐隊朝雲夏雲》)。支援部隊第六戦隊司令官五藤存知少将指揮官とする5隻(第六戦隊青葉衣笠古鷹》、第11駆逐隊第2小隊吹雪初雪》)であった米軍もこれを察知し重巡洋艦2隻、軽巡洋艦2隻、駆逐艦5隻から成る艦隊出動させ、支援部隊交戦するその間輸送部隊2010分にタサファロングに到着し輸送物資(15cm榴弾砲4門、野砲2門、牽引車4、弾薬車4、高射砲1門、固定無線1基、陸兵各艦合計675、弾薬糧食等)の揚陸開始し2250分に揚陸終了する詳細は「ヘンダーソン基地艦砲射撃」を参照 10月13日栗田健男中将司令官とする第二次挺身攻撃隊艦砲射撃第三戦隊 《旗艦 金剛榛名》)、(直衛隊 第十五駆逐隊親潮黒潮早潮》、第二十四駆逐隊海風江風涼風》)、(前路警戒第二水雷戦隊 軽巡洋艦五十鈴旗艦)、第三十一駆逐隊高波巻波長波》)が出撃し、ガダルカナル島夜間の艦砲射撃を行う。さらに、翌14日朝はラバウルから飛来し日本海軍航空部隊による空襲14日夜に重巡洋艦鳥海衣笠による艦砲射撃追い打ちをかけた。 これを受けて第2師団乗せた高速輸送船団6隻が泊地投錨し揚陸作業開始した一連の事前爆撃によってアメリカ軍航空部隊飛行機半分以上ガソリンのほとんどを焼失する大きな打撃受けていた。しかし、アメリカ海兵隊は既にヘンダーソンとは別の小規模な戦闘機用の滑走路完成させており、そちらは稼働していた。このため第2師団揚陸作業中の現地上空航空優勢の確保達成できなかった。結果兵員の上陸は終わったものの食料50%重火器類は20%揚陸がすんだ時点輸送船団被害目立ち始め船団北方退避させることとなってしまった。 第2師団は、ジャングル迂回作戦で道を見失った川口支隊失敗受けて大部隊による正攻法攻撃を行う計画であった。そのため20,000名以上の大兵力、火砲200門以上と1個戦車連隊戦車装甲車75両)を上陸させようとしたがごく一部しか揚陸できなかった。やむなく作戦変更され歩兵主力先に失敗したジャングル迂回作戦を取ることになり、当初正面攻撃一部部隊陽動として行うことになった。だが、ジャングルを進むための地図土木機械準備川口支隊の時と同様に全く行われておらず、従って進撃路の啓開遅々として進まず部隊またもや道を見失った右翼部隊指揮していた川口支隊長は第1次総攻撃反省から、大本営から派遣され作戦参謀辻政信中佐迂回攻撃進言したが、意見対立し罷免された。 他方アメリカ軍は、10月13日ヌーメアからアメリカル師団の1個連隊ガダルカナル島送り込むことに成功したまた、9月危機脆弱ぜいじゃく)だったムカデ高地陣地補強しジャングル敷設した集音器の数も増やしジャングルからの日本軍管制射撃網を敷く体制整えた10月15日アメリカ太平洋艦隊司令長官ニミッツは、それまで南太平洋戦域アメリカ軍統括指揮していた南太平洋軍司令官ロバート・ゴームレーRobert L. Ghormley)海軍中将敗北主義であるとして更迭代わりにウィリアム・ハルゼー海軍中将起用している。ハルゼーはすぐに現地指揮官集めて会議開き撤退しようというのか、それとも確保しようとするのか?」と質問したヴァンデグリフトは「私は確保できます。だが、いままでよりもっと積極的な支援お願いします」と答えハルゼーは「よろしい。大いやってみたまえ。できるだけのことを君に約束する」と確言した。

※この「第二次総攻撃まで」の解説は、「ガダルカナル島の戦い」の解説の一部です。
「第二次総攻撃まで」を含む「ガダルカナル島の戦い」の記事については、「ガダルカナル島の戦い」の概要を参照ください。

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