第三十一駆逐隊とは? わかりやすく解説

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第三十一駆逐隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 16:41 UTC 版)

清波 (駆逐艦)」の記事における「第三十一駆逐隊」の解説

1943年昭和18年2月25日、清波は第二水雷戦隊司令官伊崎俊二少将海軍兵学校42期)麾下の第三十一駆逐隊に編入され、同駆逐隊夕雲型駆逐艦4隻(長波巻波大波、清波)となった。第三十一駆逐隊の編制第1小隊1番艦大波2番艦清波、第2小隊3番巻波4番艦長波に変更されている。同隊司令香川清登大佐2月27日-28日、清波は駆逐艦海風(第24駆逐隊とともに特設巡洋艦盤谷丸(大阪商船、5,351トン)および西貢丸(大阪商船、5,350トン)を護衛して横須賀出港しトラック諸島に向かう。輸送船2隻には、佐世保鎮守府第七特別陸戦隊司令菅井武雄中佐)が乗船していた。3月8日船団トラック到着戦艦武蔵連合艦隊旗艦)で打ち合わせしたのち、佐鎮七特の目的地ニュージョージア島ムンダからギルバート諸島タラワ変更される。清波と同行する艦艇駆逐艦大波代わり、清波と大波盤谷丸と西貢丸は3月12日トラック出港してタラワ向かった3月17日船団タラワ到着し海軍陸戦隊揚陸する。後日佐世保第七特別陸戦隊同年11月下旬タラワの戦い玉砕した3月20日船団大波、清波、盤谷丸、西貢丸)はタラワ出発する。他艦と別れた清波はクェゼリン環礁回航され、輸送船天城山丸」(三井船舶、7,620トン)の護衛まかされた。敷設艦常磐機雷兵もクェゼリンで清波に乗艦した。22日、清波と天城山丸はクェゼリン出港し3月25日トラック帰投した。つづいて26日靖国丸護衛出向き27日トラック帰投した。 4月8日大波と清波は第二海上護衛隊指揮下に入った内南洋部隊編入される4月11日トラック泊北水道出口伊号第十六潜水艦雷撃受けたため、清波は第二十七駆逐隊時雨有明)と対潜掃蕩実施した同日1930、清波は敵潜撃沈おおむね確実を報告する現場指揮官原為一第二十七駆逐隊司令司令駆逐艦時雨)は対潜掃蕩派遣艦艇引き継ごうとしたが、前進部隊指揮官第二艦隊司令長官旗艦愛宕」)は「右の撃沈(清波の撃沈報告)は認められず」として掃蕩続行命じ場面もあった。3隻の対潜掃蕩4月13日までおこなわれたその後5月10日までの間、第四根拠地隊および第二海上護衛隊指揮下にてトラックラバウルカビエン方面での船団護衛従事した6月5日駆逐艦清波、萩風、潮は、空母雲鷹冲鷹横須賀回航護衛するになったトラック出発し本土へ向かう。6月9日空母2隻は横須賀到着した6月中旬、清波は第三戦隊司令官栗田健男中将指揮下に入る。6月16日第三戦隊(金剛榛名)、第七戦隊熊野鈴谷)、空母3隻(龍鳳大鷹沖鷹)、軽巡洋艦五十鈴第十四戦隊)は横須賀出撃した。これらを、第二十七駆逐隊時雨初春夕暮)、第七駆逐隊(潮、曙、漣)、第十六駆逐隊雪風)、第十七駆逐隊浜風谷風)、第二十四駆逐隊涼風)、秋月型駆逐艦新月、第三十一駆逐隊(清波)が護衛するアメリカ潜水艦スピアフィッシュ遭遇したものの被害はなく、6月21日栗田部隊トラック泊地到着した

※この「第三十一駆逐隊」の解説は、「清波 (駆逐艦)」の解説の一部です。
「第三十一駆逐隊」を含む「清波 (駆逐艦)」の記事については、「清波 (駆逐艦)」の概要を参照ください。

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