出撃、そして反転、帰投
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 07:36 UTC 版)
「キスカ島撤退作戦」の記事における「出撃、そして反転、帰投」の解説
こうしてキスカ島守備隊撤退作戦「ケ」号作戦は1943年(昭和18年)6月28日発動された。まずアリューシャン群島の敵情偵察・気象通報に従事する北方部隊潜水艦部隊が幌筵を出撃した。潜水部隊(第一潜水戦隊旗艦、平安丸)の編成は第一期作戦から若干変化し、潜水艦11隻(第7潜水隊〈伊2、伊5、伊6〉、第12潜水隊〈伊169、伊171、伊175〉、伊21、伊34、伊36、呂104、呂105)であった。潜水部隊の戦闘序列は以下の通り。 兵力部署(機密北方部隊潜水部隊命令作第二号)監視隊:直率 伊2、伊171、伊175 哨戒隊:直率 呂104、呂105 第一邀撃隊:第7潜水隊司令 伊5、伊6 第二邀撃隊:先任潜水艦長 伊34、伊36 第三邀撃隊:第12潜水隊司令 伊21、伊169 水上部隊は7月7日19時30分に幌筵を出撃した。この部隊の目的はあくまでも"味方守備隊の撤退を隠密裏に行う"というものであったため、アメリカ軍部隊との接触は極力避けるのが方針であった。しかし、万が一にも敵と遭遇した場合に備えて、夜戦の用意も行っていた。 戦闘序列巡洋艦部隊:阿武隈、木曾 収容駆逐隊:第十駆逐隊(夕雲、風雲、秋雲)、第九駆逐隊(朝雲、薄雲)、響(第六駆逐隊所属) 警戒駆逐隊:島風、五月雨(第二七駆逐隊所属)、長波(第三十一駆逐隊所属)、第二十一駆逐隊(若葉、初霜) 補給隊:日本丸#日本丸 (山下汽船)、国後 応急収容隊:粟田丸 第一水雷戦隊の駆逐艦は第九駆逐隊と第二十一駆逐隊のそれのみであり、残りは第十一水雷戦隊や連合艦隊(第二艦隊、第三艦隊)など、他の部隊の借り物だった。 7月10日、アムチトカ島500海里圏外で集結した撤収部隊は一路キスカ島へ向かった。計画では12日が"X日"つまり撤収決行日であった。だがキスカ島に近づくにつれ、霧が晴れてきたため突入を断念、一旦反転して予定日を繰り下げて決行日を13日とした。ところがこの13日も霧が晴れ、翌14、15日と決行したが全て途中で霧が晴れてしまい、突入を断念せざるを得なかった。この慎重にも慎重を期した行動は木村少将自身がこの年の3月初旬に参加した第八十一号作戦(ビスマルク海海戦)の敵空襲を受けた経験から来ていると言われる。上空援護のない状態での空襲は水雷戦隊にとって致命的だということを、木村少将は嫌というほど知っていたのである。 ここに来て、燃料の残量も少なくなってきたことから木村少将は15日午前8時20分、一旦突入を諦め幌筵へ帰投命令を発した。「帰れば、また来られるからな」と言い残しての命令だったといわれる。こうして撤収部隊は18日に一旦幌筵へ帰投した。出撃していた那智以下北方部隊主隊は15日に幌筵に帰投していた。
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