第二次羽田事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/08 08:33 UTC 版)
同年11月12日に、佐藤首相がアメリカを訪問することとなり、新左翼各派は再び首相訪米阻止を掲げて行動を起こした。 同日、三派全学連の約2,300人が東京大学教養部から、革マル派の400人が早稲田大学から、それぞれ前回同様に角材やヘルメットで武装して出立し、午前10時40分頃に京浜急行電鉄の電車に無賃乗車して羽田に向かった。 新左翼各派は京急本線の京浜蒲田駅(現京急蒲田駅)に集合し、徒歩で道路いっぱいに広がりながら、シュプレヒコールを上げて羽田空港に向けて出発したが、産業道路に阻止線を張っていた機動隊と大鳥居駅付近で接触した。新左翼は阻止線を突破するために丸太を抱えて機動隊に突入した他、京急穴守線のバラスト軌道で集めた砕石や牛乳屋から持ち出した牛乳瓶を投げつけた。 付近は大混乱に陥ったが、今回も機動隊は催涙ガスを用いてこれを鎮圧した。公務執行妨害罪及び凶器準備集合罪で、前回を上回る333人が現行犯検挙された。 前回の反省を踏まえて強化された機動隊に三派全学連は鎮圧された格好であったが、この日の衝突では第一次に比べて学生側に同情的な報道が見られた。
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