対壕建設の再開と砲弾不足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 01:00 UTC 版)
「旅順攻囲戦」の記事における「対壕建設の再開と砲弾不足」の解説
この戦いでの損害は日本軍は戦死924名、負傷3,925名。ロシア軍は戦死約600名、負傷約2,200名だった。24日より各部隊は攻撃目標に向けての対壕建設を再開したが敵に近づくにつれて相手からの阻害攻撃が激しくなり工事は停滞する。それでも各師団の奮闘で突撃陣地の構築を18日には完了する。これを受けて第三軍は再度の総攻撃を決断した。当時は28センチ榴弾砲の追加送付分が準備の出来る10月27日頃を総攻撃の日と考えていたが、各砲の砲弾の不足が深刻化しだしていた。乃木は大本営に1門300発の補給を要請した対壕建設の再開と砲弾不足(ちなみに当時要塞を落とす際に必要な砲弾数は1門につき1000発が基本的な数だった)が、補給を受ける事は出来なかった。また10月16日にはロシア第二太平洋艦隊がリバウ港を出航した事を受け、乃木は砲弾不足を承知で第二次総攻撃を行わざるを得ない状況下におかれた
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