フィリピンとバターンの偽命令による虐殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 10:10 UTC 版)
「辻政信」の記事における「フィリピンとバターンの偽命令による虐殺」の解説
フィリピン戦線を担当していた本間雅晴中将率いる第14軍は、マニラ占領後にバターン半島にこもる米比軍の追撃をおこなった。しかしジャングルの悪環境や情報不足によって攻撃は一時頓挫し、東京の大本営では一部参謀を左遷し、さらに辻を戦闘指導の名目で派遣した。4月3日に開始された第二次総攻撃によって、米比軍は4月9日に降伏し、コレヒドール島を残すのみとなった。 4月9日に米比軍指揮官エドワード・P・キング中将が降伏を部隊に命じて以降、米比軍兵士が続々と投降し始めたが、そのような中、連隊や兵団に「米比軍投降者を一律に射殺すべしという大本営命令を伝達する」との命令が第65旅団司令部から電話で伝達された。この命令を信じ、第百二十二連隊のように虐殺を実行に移した部隊もあった。ところが大本営はこのような命令を下達しておらず、本間中将も全く関知していなかったため、偽命令とわかった。当時、歩兵第141連隊長であった今井武夫は、第65旅団司令部の高級参謀・松永梅一中佐からその命令を電話で伝えられた。松永の談によると、辻が口頭でその命令を伝達して歩いていたとのことである。 日本軍によってバターンから移動中の多くの米軍人が過度に疲労・重病化したために死亡したバターン死の行進に関連した辻の偽命令による虐殺は、戦後、逃亡した辻ではなく、人道主義者の本間雅晴司令官などが戦犯として処刑されることで、その責任を負うこととなった。
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