フィリピンでの特別攻撃隊とは? わかりやすく解説

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フィリピンでの特別攻撃隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 22:57 UTC 版)

フィリピンの戦い (1944-1945年)」の記事における「フィリピンでの特別攻撃隊」の解説

レイテ作戦海軍神風特別攻撃隊出撃させると、陸軍日本本土編成していた「万朶隊」や「富嶽隊」をフィリピン進出させて第4航空軍指揮下に入れ陸海軍ともに多数特攻機繰り出しフィリピン戦海軍航空隊特攻機333機を投入し420名の搭乗員失い陸軍航空隊210機を特攻投入し251名の搭乗員失ったフィリピン戦における日本陸海軍合計での特攻による損失機数は、戦闘における全損失機数約4,000機の14 %に過ぎなかったが。一方で連合軍は、特攻によりフィリピンだけで、22隻の艦艇沈められ、110隻が撃破された。これは日本軍通常攻撃含めた航空部隊による全戦果のなかで、沈没艦67 %、撃破艦では81 %を占めており、特攻相対的に少な戦力消耗で、きわめて大きな成果をあげたことは明白であった特攻大きな戦果挙げた要因はその命中率の高さにあったアメリカ軍の公式資料によればフィリピン戦の期間中航空機による通常攻撃命中率はわずか3.3 %に過ぎなかったが、特攻命中率は31.9 %と高い水準であり、実に通常攻撃の約10であった。この命中率は、アメリカ海軍対空装備射程範囲内入った航空機命中率で、艦載機撃墜され航空機母数入っているが、実際に攻撃してきた特攻機命中率はさらに向上し1944年10月から1945年3月までの平均56 %にも上っている。この有効率の高さを、対ゼロ戦空戦戦術サッチウィーブ」の考案者でもあり、フィリピン戦時は航空参謀であったジョン・サッチ少佐 は「我々が誘導ミサイル手にする以前誘導ミサイルであった」「人間の脳と目と手で誘導され誘導ミサイルよりさらに優れていた」「時代の先を行く兵器であった」と分析している。 特攻被った損害重く見たアメリカ軍司令官たちは、それぞれに特攻戦局与え影響懸念し始めた連合軍太平洋方面軍アメリカ太平洋艦隊司令チェスター・ニミッツ元帥は「神風特別攻撃隊という攻撃兵力はいまや連合軍侵攻粉砕し撃退するために、長い間考え抜いた方法実際に発見したかのように見え始めた」と憂慮しハルゼーは「いかに勇敢なアメリカ軍兵士と言えども少なくとも生き残るチャンスがない任務決し引き受けはしない」「切腹文化があるというものの、誠に効果的なこの様部隊編成するために十分な隊員集め得るとは、我々には信じられなかった」と衝撃受けてマッカーサーも「カミカゼ本格的に姿を現した。この恐るべき出現は、連合軍海軍指揮官たちをかなりの不安に陥れ、連合国海軍艦艇至るところ撃破された。空母群はカミカゼ脅威対抗して搭載機を自らを守る為に使わねばならなくなったので、レイテ地上部隊掩護する事には手が回らなくなってしまった」と指摘した。 しかし、陸軍第4航空軍が、特攻加えて飛行場揚陸基地といったアメリカ軍弱み巧みについた作戦展開していたのに対して海軍特攻主体としてアメリカ軍空母部隊主要目標としていたため、特攻アメリカ軍大きな損害与えたものの、進撃撃退するまでには至らずアメリカ軍レイテ島ミンダナオ島ルソン島進撃続けたので、特攻結局のところは遅滞戦術のひとつに過ぎなかった。マッカーサー特攻機アメリカ艦隊戦闘見てありがたい。奴らは我々の軍艦狙っているが、ほとんどの軍艦一撃くらって耐えうるだろう。しかし、もし奴らが我々の軍隊輸送船これほど猛烈に攻撃してきたら、我々は引き返すしかないだろう。」と日本軍攻撃目標選定誤り指摘しアメリカ軍公式記録でも、特攻開始されレイテ作戦前半には、レイテ海域物資揚陸中の輸送艦などの「おいしい獲物」がたっぷりあったのに対してアメリカ軍陸上飛行場が殆ど確保できていなかったので、非常に危険な状況であったが、日本軍航空戦力主力通常の航空作戦続行しており、日本軍特攻により全力攻撃をかけてこなかったので危機去った。」と評価していた。 フィリピン防衛には失敗したものの、日本軍特攻効果自信深めていた。また、フィリピン失い、いよいよ日本本土にもアメリカ軍が迫るといった追い詰められ状況では、特攻にしか頼る道はないとの日本軍窮状もあって、沖縄戦では特攻戦法を軸にして戦うという方向性示され日本軍内の特攻対す反対意見次第封殺されていくこととなった一方でフィリピンで異常強烈な体当たり戦法大損害を被ったアメリカ軍は、数々特攻対策講じてそれを迎え撃ち沖縄戦では第二次世界大戦でも最大級空海激戦繰り広げられることとなった

※この「フィリピンでの特別攻撃隊」の解説は、「フィリピンの戦い (1944-1945年)」の解説の一部です。
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