振武集団の戦闘
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「フィリピンの戦い (1944-1945年)」の記事における「振武集団の戦闘」の解説
振武集団は、マニラ防衛隊支援のため、2月8日より6個大隊で第一次総攻撃を行うなど、マニラ郊外において連合軍と激戦を繰り広げていた。2月23日、米第6師団、第43師団などは猛砲撃を行ったあと、戦車を中心にして包囲攻撃を開始した。対する日本軍は、3月中旬に第二次総攻撃を実施して第6師団長に重傷を負わせるなどしたが、結局3月下旬頃になると撤退を余儀なくされた。振武集団は3つに分断されてしまい、6月には第二線陣地も失って、さらに分散しての持久戦へと入った。その後、9月から11月にかけて終戦を知り降伏するまで、連合軍やゲリラとの戦闘を行った。振武集団の生存者は、当初の約10万5000名のうち終戦以後に収容された者13000名と、比島作戦終了までの捕虜1600名であった。
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