作戦打ち切り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/17 16:54 UTC 版)
2月17日午前11時15分、第58任務部隊司令官ミッチャー中将は天候の悪化を考慮して本作戦の打ち切りを決心した。第58任務部隊は攻撃隊を収容すると、硫黄島に向かって転進した。硫黄島に向かう途中、第58.4任務群は小笠原諸島を空襲し、日本の小型船舶と父島飛行場に損害を与えた。船舶運営会の記録では、2月17日に陸軍徴用船「大美丸」(大阪商船:530総トン)、2月18日に「日吉丸」(広南汽船:1287総トン)が父島で空襲により沈没している。また、2月18日にかけての夜に駆逐艦が日本軍の特設監視艇など4隻の撃沈を報じているが、駆逐艦「ドーチ」が反撃を受けて3人の戦死者を出した。 本作戦を終えた第58任務部隊は、2月19-20日に第50.8任務群のグループA及びグループBと洋上会合して補給を受けた。航空機の損耗分は、第50.8任務群の護衛空母「ブーゲンビル」がグアム島から運んできた機体により補充された。そして、第58任務部隊は硫黄島の上陸地点などに対する攻撃に加わった。なお、硫黄島では、第52任務部隊(司令官:ウィリアム・ブランディ(en)少将)が、すでに2月16日からジャンボリー作戦と並行して護衛空母搭載機による空襲と戦艦以下各種艦艇による艦砲射撃に着手していた。
※この「作戦打ち切り」の解説は、「ジャンボリー作戦」の解説の一部です。
「作戦打ち切り」を含む「ジャンボリー作戦」の記事については、「ジャンボリー作戦」の概要を参照ください。
- 作戦打ち切りのページへのリンク