第6の哨戒 1943年8月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 16:52 UTC 版)
「ワフー (SS-238)」の記事における「第6の哨戒 1943年8月」の解説
8月6日、ワフーは6回目の哨戒で日本海に向かった。ワフーの出撃の1ヵ月前、プランジャー (USS Plunger, SS-179)、パーミット (USS Permit, SS-178) およびレイポン (USS Lapon, SS-260) の3隻が、史上初めてのアメリカ潜水艦による日本海での哨戒を実施しており、ワフーの作戦は第二弾として実施されたもので、2度目の侵入となるプランジャーと組んでの作戦であった。 ワフーは8月13日に択捉水道からオホーツク海に入り、その日のうちに宗谷海峡を深夜に水上航行で通過して日本海へ侵入した。侵入直後の8月15日未明、ワフーは北緯43度12分 東経140度00分 / 北緯43.200度 東経140.000度 / 43.200; 140.000の積丹半島沖で3隻の輸送船からなる船団を発見し、速力の遅い3,000トン級輸送船に向けて魚雷を1本発射したが、魚雷は偏斜して消えてしまい命中しなかった。ワフーは北寄りに進路を変えて輸送船団を追撃し、6,000トン級輸送船に対して三度にわたり魚雷を計4本発射したものの、1本は不発、2本は外れ、1本は航走中に沈下した。ワフーは鴻型水雷艇と思われる艦船を見つけて退避した。8月17日未明、ワフーは北緯42度45分 東経139度50分 / 北緯42.750度 東経139.833度 / 42.750; 139.833の地点で3隻の輸送船団を発見し、4,000トン級輸送船に対して魚雷を1本発射したが命中しなかった。同じ日の夜には、北緯42度16分 東経139度39分 / 北緯42.267度 東経139.650度 / 42.267; 139.650の地点で3,500トン級輸送船を発見し、魚雷を1本発射したがこれまた偏斜で命中しなかった。攻撃後浮上すると、この輸送船とすれ違う輸送船福勢丸(明治海運、1,232トン)に発見される。日付が8月18日に変わった直後、ワフーは北緯42度17分 東経139度43分 / 北緯42.283度 東経139.717度 / 42.283; 139.717の地点で3,000トン級輸送船に対して魚雷を1本発射するが、これも命中しなかった。2時間後には北緯41度58分 東経139度43分 / 北緯41.967度 東経139.717度 / 41.967; 139.717の地点で4,000トン級輸送船に対して魚雷を1本ずつ計2本発射したが命中せず、2本目に至っては発射後23秒で爆発した。4日以内に12隻の目標を見つけ、合計10本の魚雷を発射したがことごとく命中せず、ワフーからの報告でこの事態を鑑みた司令部は、作戦打ち切りの命令を発した。 ワフーは、宗谷海峡に向かって航行中の8月19日朝に北緯44度43分 東経138度55分 / 北緯44.717度 東経138.917度 / 44.717; 138.917の地点で輸送船を発見し追跡したが、よく見ると中立国ソ連船舶旗が翻っており、当然攻撃は控えられた。8月20日朝、ワフーはサンパンの群れを発見し攻撃した。まず北緯45度35分 東経146度50分 / 北緯45.583度 東経146.833度 / 45.583; 146.833の地点で36トン級サンパン1隻を沈め、引き上げた6人の日本人を捕虜とした。9時間後、北緯45度50分 東経148度22分 / 北緯45.833度 東経148.367度 / 45.833; 148.367と北緯45度47分 東経148度42分 / 北緯45.783度 東経148.700度 / 45.783; 148.700の地点で25トン級と35トン級のサンパンも攻撃し撃沈。2隻の乗組員はそのまま沈んでいった。ワフーは往路とほぼ同じコースを戻っていった。8月25日にミッドウェー島に到着。8月29日、ワフーは27日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。帰投後、モートン艦長は魚雷に関して兵器局に猛抗議し、再び日本海へ行かせてくれるよう懇願した。その結果、従来のマーク14型魚雷をすべて降ろし、代わりに新型のマーク18型電池魚雷(英語版)を搭載することを許され、ワフーにも再度の日本海侵入が許可されることとなった。この際、モートン艦長は関釜連絡船に関する情報収集を徹底的に行っていた。
※この「第6の哨戒 1943年8月」の解説は、「ワフー (SS-238)」の解説の一部です。
「第6の哨戒 1943年8月」を含む「ワフー (SS-238)」の記事については、「ワフー (SS-238)」の概要を参照ください。
- 第6の哨戒 1943年8月のページへのリンク