第6の哨戒 1943年12月 - 1944年2月とは? わかりやすく解説

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第6の哨戒 1943年12月 - 1944年2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 14:54 UTC 版)

ホエール (潜水艦)」の記事における「第6の哨戒 1943年12月 - 1944年2月」の解説

12月21日ホエール6回目哨戒シーウルフ (USS Seawolf, SS-197) とともに小笠原諸島方面向かった1944年1月14日シーウルフから輸送船団発見した報告があり、シーウルフそのまま輸送船団攻撃し、「1隻撃沈、なおも追跡中」と報告があった。ホエール1月16日になってレーダーでその輸送船団探知夕方入って潜航し魚雷3本発射魚雷陸軍輸送船丁抹でんまーく)丸(白洋汽船、5,869トン)にすべて命中し丁抹丸は北緯2315東経135度14分 / 北緯23.250度 東経135.233度 / 23.250; 135.233の硫黄島西南500キロ地点沈没したシーウルフは「あと1隻残っている」と報告し自身魚雷使い果たしていたので、浮上砲戦でこの輸送船片付けようとしたが果たせず、代わってホエール片付けることとなった。この残った1隻である特設運送船たるしま丸(浜根汽船、4,865トン)は特殊潜航艇曳航していたが、この時までにシーウルフ撃たれ損傷がひどくなっていた。1月17日朝、北緯2308東経135度09分 / 北緯23.133度 東経135.150度 / 23.133; 135.150の沖ノ鳥島沖ホエールはたるしま丸追いつき、二度わたって魚雷を計7本発射して3本命中させてたるしま丸撃沈しホエールその様子を撮影したその後1月23日までこの海域哨戒続け1月26日にこの海域去った。この最中右舷側のスクリュー損傷した2月3日ホエール44日間行動終えてミッドウェー島帰投艦長ジェームズ・B・グラディ少佐アナポリス1933年組)に代わった。

※この「第6の哨戒 1943年12月 - 1944年2月」の解説は、「ホエール (潜水艦)」の解説の一部です。
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