第6の哨戒 1942年12月 - 1943年1月とは? わかりやすく解説

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第6の哨戒 1942年12月 - 1943年1月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 16:03 UTC 版)

スレッシャー (潜水艦)」の記事における「第6の哨戒 1942年12月 - 1943年1月」の解説

12月16日スレッシャー6回目哨戒ジャワ海方面向かった12月25日スラバヤ近海哨戒海域到着ほどなく南緯0650東経11247分 / 南緯6.833度 東経112.783度 / -6.833; 112.783の地点で2隻の駆逐艦、数隻の駆潜艇、2機の哨戒機によって護衛され輸送船団発見スレッシャー護衛をやり過ごし、3隻の貨物船向けて魚雷を5本発射。2回の爆発確認し観測すると、2番目の貨物船であった陸軍第一ときわ丸藤山海運、892トン)が身動きがとれず煙で覆われ船尾上げているように見えた第一ときわ丸沈没スレッシャー確認しなかった。次の夜に空母のような船を発見したが、護衛艦邪魔され目標夜闇紛れ1時間以上も接触できなかった。12月29日夜、スレッシャー南緯0530東経11450分 / 南緯5.500度 東経114.833度 / -5.500; 114.833の地点貨物船八安丸(拿捕船、2,733トン)を発見日付が変わる直前に、魚雷貨物船向けて発射した命中しなかった。スレッシャー浮上し向かってきた貨物船避けながら艦載砲8つ命中弾を得て八安丸は沈没していった。1943年1月10日スレッシャー25日間の行動終えてフリーマントル帰投した。

※この「第6の哨戒 1942年12月 - 1943年1月」の解説は、「スレッシャー (潜水艦)」の解説の一部です。
「第6の哨戒 1942年12月 - 1943年1月」を含む「スレッシャー (潜水艦)」の記事については、「スレッシャー (潜水艦)」の概要を参照ください。

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