第6の哨戒 1942年12月 - 1943年1月
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「スレッシャー (潜水艦)」の記事における「第6の哨戒 1942年12月 - 1943年1月」の解説
12月16日、スレッシャーは6回目の哨戒でジャワ海方面に向かった。12月25日にスラバヤ近海の哨戒海域に到着。ほどなく、南緯06度50分 東経112度47分 / 南緯6.833度 東経112.783度 / -6.833; 112.783の地点で2隻の駆逐艦、数隻の駆潜艇、2機の哨戒機によって護衛された輸送船団を発見。スレッシャーは護衛をやり過ごし、3隻の貨物船に向けて魚雷を5本発射。2回の爆発を確認し観測すると、2番目の貨物船であった陸軍船第一ときわ丸(藤山海運、892トン)が身動きがとれず煙で覆われて船尾を上げているように見えた。第一ときわ丸の沈没をスレッシャーは確認しなかった。次の夜には空母のような船を発見したが、護衛艦に邪魔されて目標は夜闇に紛れ、1時間以上も接触できなかった。12月29日夜、スレッシャーは南緯05度30分 東経114度50分 / 南緯5.500度 東経114.833度 / -5.500; 114.833の地点で貨物船八安丸(拿捕船、2,733トン)を発見。日付が変わる直前に、魚雷を貨物船に向けて発射したが命中しなかった。スレッシャーは浮上し、向かってきた貨物船を避けながら艦載砲で8つの命中弾を得て八安丸は沈没していった。1943年1月10日、スレッシャーは25日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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