第6の哨戒 1943年2月 - 4月とは? わかりやすく解説

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第6の哨戒 1943年2月 - 4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 11:20 UTC 版)

グレイバック (SS-208)」の記事における「第6の哨戒 1943年2月 - 4月」の解説

2月13日グレイバック6回目哨戒グランパスとともにソロモン諸島方面向かった3月5日夜、グレイバックベララベラ島沿岸部グランパスらしき潜水艦目撃したが、その潜水艦本当にグランパスかどうかは分からなかった。その後哨戒海域ビスマルク諸島方面移動3月13日には南緯0010東経15106分 / 南緯0.167度 東経151.100度 / -0.167; 151.100のニューアイルランド島近海特設運送船能代丸(日本郵船、7,184トンに対して魚雷を4本発射。うち1本が能代丸の右舷命中し、残る3本のうち1本が能代丸の船首かすめた能代丸は大破したもののトラック諸島に引き返すことができた。翌3月14日には南緯0209東経15048分 / 南緯2.150度 東経150.800度 / -2.150; 150.800の地点で6,000トン貨物船に対して攻撃を行う。しかし、この哨戒では能代撃破以外には戦果はなく、新装備SJレーダーもあまり作動しなかった。4月4日グレイバック47日間行動終えてブリスベン帰投した。

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第6の哨戒 1943年2月 - 4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/01 14:57 UTC 版)

トートグ (潜水艦)」の記事における「第6の哨戒 1943年2月 - 4月」の解説

2月24日トートグ6回目哨戒フローレス海およびマカッサル海峡方面向かった。この哨戒ではバリクパパン近海機雷敷設する任務与えられており、3月6日南緯0208東経11645分 / 南緯2.133度 東経116.750度 / -2.133; 116.750付近予定海域機雷敷設した3月17日トートグセラム島沿岸部で、空襲によって破壊され座礁放棄されタンカー海城丸(大連汽船、3,271トン)を発見魚雷発射し船尾付近に命中させ二次爆発を起こさせた。トートグはさらに3本魚雷発射したが、これは命中しなかった。4月9日6時ごろ、トートグ南緯0531分 東経12309分 / 南緯5.517度 東経123.150度 / -5.517; 123.150のセレベス島南端ブトン島近海で、スラバヤからアンボンに向かう輸送船団発見7時ごろに、まず彼南(ぺなん)丸(日本郵船、5,214トン)に向けて魚雷3本発射。うち1本が彼南丸に命中し彼南丸は沈没を防ぐためブトン島座礁した浸水止まらず1335分に沈没した護衛駆逐艦磯波彼南丸の遭難者救助したが、トートグはその磯波向けて魚雷を4本発射磯波魚雷をすべてかわしたように見えたが、1本が磯波艦尾かすめた後、磯波方に曲がってきて命中し沈没したまた、目標逸れた魚雷途中で爆発し付近にいた遭難者吹き飛ばされ死んだトートグはこのほか、Vボート英語版)から移設して装備した51口径5インチ砲と機銃で、3月10日40トンサンパン3月11日帆船3月18日スクーナー撃沈したトートグはこの哨戒で2隻6,800トン戦果公認された。4月19日トートグ53日間行動終えてフリーマントル帰投した。

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第6の哨戒 1943年2月 - 4月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/26 20:34 UTC 版)

タンバー (潜水艦)」の記事における「第6の哨戒 1943年2月 - 4月」の解説

2月18日タンバー6回目哨戒フィリピン方面向かった。この哨戒では「マッカーサーゲリラ」を支援するのが主任務であり、タンバーはチャールズ・パーソンズ(英語版少佐率い部隊と、7.62ミリ機銃50,000発、45口径拳銃20,000発および南ミンダナオで使う通貨10,000ドル積んだ。これらの支援物資は、3月5日ミンダナオ島パガディアン湾の海岸に無事揚陸された。3月22日タンバーアポ島(英語版南西沖で2,500トンタンカー発見し魚雷3本発射7日後の3月29日にも5,000トン輸送船に対して魚雷3本発射したが、命中音は確認できたものの、損傷との判断とどまった4月14日タンバー55日間行動終えてフリーマントル帰投哨戒間の改装で、艦橋前部にも20ミリ機銃装備された。艦長がルッセル・キーフォーバー少佐アナポリス1933年組)に代わった。

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