第6の哨戒 1943年2月 - 4月
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「グレイバック (SS-208)」の記事における「第6の哨戒 1943年2月 - 4月」の解説
2月13日、グレイバックは6回目の哨戒でグランパスとともにソロモン諸島方面に向かった。3月5日夜、グレイバックはベララベラ島沿岸部にグランパスらしき潜水艦を目撃したが、その潜水艦が本当にグランパスかどうかは分からなかった。その後、哨戒海域をビスマルク諸島方面に移動。3月13日には南緯00度10分 東経151度06分 / 南緯0.167度 東経151.100度 / -0.167; 151.100のニューアイルランド島近海で特設運送船能代丸(日本郵船、7,184トン)に対して魚雷を4本発射。うち1本が能代丸の右舷に命中し、残る3本のうち1本が能代丸の船首をかすめた。能代丸は大破したもののトラック諸島に引き返すことができた。翌3月14日には南緯02度09分 東経150度48分 / 南緯2.150度 東経150.800度 / -2.150; 150.800の地点で6,000トン級貨物船に対して攻撃を行う。しかし、この哨戒では能代丸撃破以外には戦果はなく、新装備のSJレーダーもあまり作動しなかった。4月4日、グレイバックは47日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。
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第6の哨戒 1943年2月 - 4月
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「トートグ (潜水艦)」の記事における「第6の哨戒 1943年2月 - 4月」の解説
2月24日、トートグは6回目の哨戒でフローレス海およびマカッサル海峡方面に向かった。この哨戒ではバリクパパン近海に機雷を敷設する任務も与えられており、3月6日に南緯02度08分 東経116度45分 / 南緯2.133度 東経116.750度 / -2.133; 116.750付近の予定海域に機雷を敷設した。3月17日、トートグはセラム島沿岸部で、空襲によって破壊され座礁放棄されたタンカー海城丸(大連汽船、3,271トン)を発見。魚雷を発射し、船尾付近に命中させ二次爆発を起こさせた。トートグはさらに3本の魚雷を発射したが、これは命中しなかった。4月9日朝6時ごろ、トートグは南緯05度31分 東経123度09分 / 南緯5.517度 東経123.150度 / -5.517; 123.150のセレベス島南端ブトン島近海で、スラバヤからアンボンに向かう輸送船団を発見。7時ごろに、まず彼南(ぺなん)丸(日本郵船、5,214トン)に向けて魚雷を3本発射。うち1本が彼南丸に命中し、彼南丸は沈没を防ぐためブトン島に座礁したが浸水が止まらず、13時35分に沈没した。護衛の駆逐艦磯波が彼南丸の遭難者を救助したが、トートグはその磯波に向けて魚雷を4本発射。磯波は魚雷をすべてかわしたように見えたが、1本が磯波の艦尾をかすめた後、磯波の方に曲がってきて命中し沈没した。また、目標を逸れた魚雷が途中で爆発し、付近にいた遭難者が吹き飛ばされて死んだ。トートグはこのほか、Vボート(英語版)から移設して装備した51口径5インチ砲と機銃で、3月10日に40トン級サンパン、3月11日に帆船、3月18日にスクーナーを撃沈した。トートグはこの哨戒で2隻6,800トンの戦果が公認された。4月19日、トートグは53日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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第6の哨戒 1943年2月 - 4月
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「タンバー (潜水艦)」の記事における「第6の哨戒 1943年2月 - 4月」の解説
2月18日、タンバーは6回目の哨戒でフィリピン方面に向かった。この哨戒では「マッカーサーのゲリラ」を支援するのが主任務であり、タンバーはチャールズ・パーソンズ(英語版)少佐率いる部隊と、7.62ミリ機銃弾50,000発、45口径拳銃弾20,000発および南ミンダナオで使う通貨10,000ドルを積んだ。これらの支援物資は、3月5日にミンダナオ島パガディアン湾の海岸に無事揚陸された。3月22日、タンバーはアポ島(英語版)南西沖で2,500トン級タンカーを発見し、魚雷3本を発射。7日後の3月29日にも5,000トン級輸送船に対して魚雷3本を発射したが、命中音は確認できたものの、損傷との判断にとどまった。4月14日、タンバーは55日間の行動を終えてフリーマントルに帰投。哨戒間の改装で、艦橋前部にも20ミリ機銃が装備された。艦長がルッセル・キーフォーバー少佐(アナポリス1933年組)に代わった。
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