第5、第6の哨戒 1943年2月 - 7月
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「グリーンリング (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1943年2月 - 7月」の解説
2月21日、グリーンリングは5回目の哨戒でソロモン諸島及びビスマルク諸島方面に向かった。この哨戒では通常の哨戒とともにニューブリテン島にスパイを上陸させる任務も与えられていた。3月2日、グリーンリングはニューブリテン島のステフェン海峡(英語版)沿いの海岸にスパイを上陸させた。その後はパラオとラバウル間の交通路などで通常の哨戒に従事したが、悪天候に悩まされて思うように戦果をあげることはなかった。3月13日に南緯03度15分 東経143度46分 / 南緯3.250度 東経143.767度 / -3.250; 143.767のウェワク近海で輸送船団に対して魚雷を3本発射したのが、この哨戒における唯一の攻撃だった。4月26日、グリーンリングは64日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。 5月17日、グリーンリングは6回目の哨戒でソロモン諸島及びニューギニア方面に向かった。5月27日から28日にかけては、相次いで日本潜水艦を発見するが、スコールに遮られるなどで攻撃には至らなかった。6月9日、グリーンリングは北緯02度20分 東経145度45分 / 北緯2.333度 東経145.750度 / 2.333; 145.750のトラック南西海域で特設運送船(給油)あけぼの丸(日本海運、10,121トン)に対して魚雷を4本発射して撃破した。翌6月10日未明には、北緯00度37分 東経145度58分 / 北緯0.617度 東経145.967度 / 0.617; 145.967の地点で輸送船団を発見し、追跡の後朝方に北緯01度01分 東経145度37分 / 北緯1.017度 東経145.617度 / 1.017; 145.617の地点で2隻の輸送船に対して魚雷を計5本発射し、1本ずつ命中したと判断されたが、爆雷攻撃の音を聴取して更なる戦果確認は行わなかった。夕刻になって浮上し、再び輸送船団の姿を確認したが、駆逐艦や護衛艦の存在や降雨はグリーンリングと輸送船団の間を著しく引き離す結果をもたらした。6月14日夕刻には北緯02度22分 東経149度45分 / 北緯2.367度 東経149.750度 / 2.367; 149.750の地点で特設巡洋艦と思しき大型船を発見するが、推定17から18ノットの速力で走り去られる。6月18日から19日にかけても近くにいたグロウラー (USS Growler, SS-215) と連携してP614船団を追跡し、グロウラーは陸軍輸送船宮殿丸(辰馬汽船、5,193トン)を撃沈。グリーンリングは夜間浮上攻撃を試みて夕方に浮上したが、間もなくP614船団を見失ってしまった。6月27日朝、グリーンリングは北緯00度00分 東経152度02分 / 北緯0.000度 東経152.033度 / 0.000; 152.033の地点で空母と思しき艦艇を発見し、追跡の上夜に入って北緯02度41分 東経149度53分 / 北緯2.683度 東経149.883度 / 2.683; 149.883の地点で攻撃を行ったが、発射した4本の魚雷は命中しなかった。7月8日、グリーンリングは52日間の行動を終えてブリスベンに帰投した。
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