第5、第6の哨戒 1944年12月 - 1945年5月とは? わかりやすく解説

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第5、第6の哨戒 1944年12月 - 1945年5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/15 17:20 UTC 版)

ピクーダ (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1944年12月 - 1945年5月」の解説

12月29日、ピクーダは5回目哨戒で再びバーブクイーンフィッシュウルフパック構成し東シナ海台湾海峡方面向かった1945年1月7日昼ごろ、ピクーダはバーブ情報基づいて哨戒中に北緯2542東経12114分 / 北緯25.700度 東経121.233度 / 25.700; 121.233の地点ヒ87船団発見タンカー宗像丸(昭和タンカー10,045トン)に魚雷2本を命中させ大破させた。翌1月8日午後、ピクーダはバーブから船団接触報告受け取り4時間にわたって追跡したのち攻撃。ピクーダは3つの目標選んでそれぞれに対して魚雷発射。この攻撃では明宝丸(明治海運、2,857トン)、久川丸(川崎汽船、6,886トン)、満珠丸(日本油槽船、6,515トン)の3隻に損傷与えた判断された。しかし、護衛艦640メートルにまで迫っているのを見て一時息を潜めた。ピクーダは次にバーブクイーンフィッシュとともにタンカー彦島丸(三菱汽船、2,854トン)を追いかけまわして痛めつけ、彦島丸は浅瀬座礁した攻撃後は、しばらく第38任務部隊ジョン・S・マケイン・シニア中将)のための救助配置任務就いた1月29日早朝、ピクーダは北緯14度32東経11653分 / 北緯14.533度 東経116.883度 / 14.533; 116.883の地点雨中少なくとも3隻の大型船があるのを確認し追跡6時40分、ピクーダは船団接近し、くらいど丸(南洋海運、5,497トン)に向けて魚雷発射。2本命中したのをピクーダの当直士官観測した晴れると、くらいど丸が煙と蒸気包まれ沈んでいくのが見えた。この時、上空水上偵察機見つけたので、ピクーダはこれ以上攻撃諦めた2月5日から6日にかけてサイパン島タナパグ港補給2月15日、ピクーダは48日間行動終えて真珠湾帰投した。 3月15日、ピクーダは6回目哨戒日本近海および大陸沿岸部向かった3月29日アプラ港補給行い4月2日紀伊水道沖の哨戒海域到達日本本土空襲するB-29部隊支援のための救助配置任務就いた5月6日僚艦スキャバードフィッシュ (USS Scabbardfish, SS-397) と南西諸島沖で会合し、スキャバードフィッシュが救助していたB-29クルー5名を受け取った5月10日サイパン島到着クルーをおろし、第21爆撃司令部送り届けた潜水母艦オリオン (USS Orion, AS-18) からの修理受けた後、5月11日出港5月20日、ピクーダは63日間行動終えて真珠湾帰投した。サンフランシスコ経由しパナマ運河通過後、6月22日ポーツマス海軍造船所到着オーバーホール中に終戦迎えた。 ピクーダは第二次世界大戦戦功で6個の従軍星章受章した

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第5、第6の哨戒 1944年12月 - 1945年5月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 08:15 UTC 版)

ロック (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1944年12月 - 1945年5月」の解説

12月14日ロック5回目哨戒南シナ海向かった63日間に及ぶこの哨戒での唯一の仕事らしい仕事は、ルソン島方面空襲した空母レキシントン (USS Lexington, CV-16) の搭乗員救出したことだった。1945年2月13日ロック63日間行動終えてフリーマントル帰投し、艦長ロバート・A・キーティング・ジュニア中佐アナポリス1933年組)に代わった。 3月7日ロック6回目哨戒でガヴィナ (USS Guavina, SS-362) 、コビア (USS Cobia, SS-245) 、ブレニー (USS Blenny, SS-324) とウルフパック組んで南シナ海方面向かった。その途中3月10日ロック15名の遭難者発見し救助する。これらの遭難者は、これより遡る2月6日に、ドイツUボートU-862(後の日本海軍潜水艦伊号第五〇二潜水艦伊502))に撃沈されたアメリカリバティ船ペーター・シルバースターの生存者のうちで最後に生き残った者たちであったロック生存者エクスマス湾の前進基地送り届けた哨戒再開3月27日ロック北緯11度40東経10916分 / 北緯11.667度 東経109.267度 / 11.667; 109.267の地点護衛艦発見しマーク27誘導魚雷英語版)を発射した命中しなった。4月17日18日ティグロン (USS Tigrone, SS-419) と共同バタン島送信所およびバスコ市街艦砲射撃した。ロック58日間行動終えてサイパン島帰投した。この哨戒では護衛艦1隻の撃沈報告したその後ロックアメリカ本国向かい5月14日サンフランシスコハンターズ・ポイント海軍造船所到着しオーバーホール入った作業完了する8月7日真珠湾にむけて出航するが、途中で8月15日終戦迎え東海岸帰還した

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