第5、第6の哨戒 1944年8月 - 12月
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「ミンゴ (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1944年8月 - 12月」の解説
8月27日、ミンゴは5回目の哨戒でセレベス海に向かった。この哨戒では、フィリピンやボルネオ島を爆撃する第13空軍のB-24に対する援護を主な任務としていた。9月13日未明、ミンゴは北緯05度36分 東経123度51分 / 北緯5.600度 東経123.850度 / 5.600; 123.850の地点で2隻の掃海艇を発見し、掃海艇もミンゴを発見して向かってくる。ミンゴは掃海艇をひきつけて魚雷を3本発射したが、脅かしただけに終わった。9月30日には南緯01度20分 東経117度33分 / 南緯1.333度 東経117.550度 / -1.333; 117.550の地点で病院船氷川丸(日本郵船、11,622トン)を目撃。10月2日午後、ミンゴは南緯00度59分 東経117度22分 / 南緯0.983度 東経117.367度 / -0.983; 117.367の地点で350トン級と250トン級のトロール船各1隻、2隻の150トン級トロール船を発見し、砲撃により全て撃沈した。また、ミンゴはこの哨戒を通じて16名のB-24の搭乗員を救助したが、うち10名はバリクパパン沖のマカッサル海峡で、残る6名はセレベス島の海岸部で、いずれもゴムボートを使って救助した。10月13日、ミンゴは46日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 11月6日、ミンゴは6回目の哨戒で南シナ海に向かった。11月19日、ミンゴは北緯03度13分 東経108度14分 / 北緯3.217度 東経108.233度 / 3.217; 108.233の地点で1隻の大型タンカーと2隻の護衛艦を発見。追跡を行い、夜に入って船団に接近すると、タンカーと護衛艦も備砲と機銃で撃ち返してきた。ミンゴは20ミリ機銃に乗組員を配して護衛艦に備えさせ、護衛艦の追撃を振り切ることに成功した。11月25日未明、ミンゴはシマ05船団を発見して追跡の上、北緯05度42分 東経113度15分 / 北緯5.700度 東経113.250度 / 5.700; 113.250のボルネオ島ミリ沖にいたったところで魚雷を発射し、陸軍輸送船まにら丸(大阪商船、9,486トン)の右舷に3本が命中し、まにら丸は搭載していた可燃物が炎上して沈没していった。海防艦倉橋が爆雷攻撃を実施したが、結局ミンゴを取り逃がした。ミンゴも反撃で魚雷を4本発射したが、命中しなかった。日本軍がマニラの戦いの末に玉砕あるいは逃亡するのは、この一件から3カ月以内のことであり、「マニラ」の名を冠した船が沈没したのは何とも暗示的であった。12月17日には北緯11度40分 東経109度20分 / 北緯11.667度 東経109.333度 / 11.667; 109.333の地点で、カムラン湾からサンジャックに移動しつつあった第五艦隊(志摩清英中将)を発見し、艦隊をやり過ごしてから浮上して艦隊発見を通報した。ミンゴの通報後、B-25 5機がカムラン湾を爆撃したが、第五艦隊は攻撃を受けなかった。12月29日、ミンゴは52日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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