第5、第6の哨戒 1945年3月 - 5月
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「ハンマーヘッド (潜水艦)」の記事における「第5、第6の哨戒 1945年3月 - 5月」の解説
3月10日、ハンマーヘッドは5回目の哨戒で南シナ海に向かった。3月26日未明、直前にガーナード (USS Gurnard, SS-254) と会合していたハンマーヘッドは、2隻の「海防艦」を発見して魚雷を4本発射するが、命中しなかった。この敵に対してはガーナードも魚雷を4本発射したが、こちらも回避された。3月29日朝、ハンマーヘッドは北緯14度40分 東経109度16分 / 北緯14.667度 東経109.267度 / 14.667; 109.267のインドシナ半島アンヨ岬北北東20海里の地点で、南号作戦の最終船団であるヒ88J船団を発見した。ハンマーヘッドは魚雷を3本ずつ計6本発射し、魚雷は船団最後尾を航行していた第84号海防艦を直撃してこれを撃沈。第84号海防艦の戦死者は191名を数え、その中には中等野球の名選手で、一等兵曹として第84号海防艦に乗艦していた嶋清一も含まれていた。ヒ88J船団は直後に航空攻撃で全滅した。4月6日、ハンマーヘッドは28日間の行動を終えてスービック湾に帰投した。 4月30日、ハンマーヘッドは6回目の哨戒で南シナ海およびタイランド湾方面に向かった。5月6日に哨戒海域に到着し、その夜に北緯08度15分 東経102度00分 / 北緯8.250度 東経102.000度 / 8.250; 102.000の地点で小型タンカーと2隻の護衛艦を発見した。ハンマーヘッドは最大射程距離で魚雷を4本発射したが当たらず再度魚雷を4本発射し、2本が特設運送船(給油)金鈴丸(日本油槽船、867トン)に命中して撃沈した。午後に入り、哨戒機を配した1,000トン級輸送船と100トン級トロール船改装哨戒艇を発見し、魚雷を4本発射したが命中せず、反転してさらに魚雷を3本発射したが、やはり命中しなかった。5月14日、ハンマーヘッドはタイランド湾で、ハティエンからシンガポールに向かっていた陸軍輸送船鳥取丸(日本郵船、5,973トン)と護衛の敷設艦初鷹を発見した。この2隻にはコビア (USS Cobia, SS-245) も接触していたが、コビアは鳥取丸に向けて魚雷を5本発射したが命中せず、初鷹の反撃で撃退されていた。ハンマーヘッドは午後に入り魚雷を3本発射して鳥取丸に1本命中させたが、不発であった。攻撃後、荒天の中2隻を追跡し、5月15日1時27分に北緯09度58分 東経101度05分 / 北緯9.967度 東経101.083度 / 9.967; 101.083の地点にいたったところで鳥取丸に向けて魚雷を3本発射し、2本を命中させて鳥取丸を撃沈した。撃沈したのが鳥取丸であることは、浮き輪を確認して判明した。5月24日、ハンマーヘッドは25日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。
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