ヒ88J船団
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/29 17:13 UTC 版)
ヒ88J船団(ヒ88Jせんだん)は、大東亜戦争末期の1945年3月にシンガポールから日本を目指して航海した日本の護送船団である。南方占領地から日本へ向かう最後の資源輸送船団として編成されたが、護衛艦艇も含めて殆ど日本にたどり着くことはできなかった。尚、残存護衛部隊が流用されたホモ03船団(ホモ03せんだん)についても本項で扱う。
注釈
- ^ a b c d 第1号海防艦は輸送船が全滅したヒ98船団の生き残り護衛艦。森田(2004年)によると第9号駆潜艇もヒ98船団の生き残りだが[6]、岩重(2011年)によると同艇はヒ88Iの護衛艦である[5]。
- ^ 貨物船である2A型戦時標準船を設計変更した応急タンカー。
- ^ 乗員の一人に1939年夏の甲子園大会に伝説的な快投で優勝した嶋清一がおり、戦死している。
- ^ 森田(2004年)では、北上丸の代わりにサイゴン丸を参加船に数えている[1]。
出典
- ^ a b c 森田(2004年)、78-80頁。
- ^ 大井(2001年)、383頁。
- ^ a b c d e f The Official Chronology of the U.S. Navy in World War II(2011年12月2日閲覧)
- ^ a b 森田(2004年)、81頁。
- ^ a b c d 岩重(2011年)、97頁。
- ^ 森田(2004年)、90頁。
- ^ a b 森田(2004年)、91頁。
- ^ 木俣滋郎 『敵潜水艦攻撃』 朝日ソノラマ〈新戦史シリーズ〉、1991年 2版、280-281頁。
- ^ 森田(2004年)、93頁。
- ^ 森田(2004年)、95・97頁。
- ^ a b 森田(2004年)、138頁。
- ^ 駒宮(1987年)、367頁。
- ^ 森田(2004年)、124頁。
- ^ 大井(2001年)、389頁。
- ^ 森田(2004年)、111頁。
- ^ 駒宮(1992年)、167頁。
- 1 ヒ88J船団とは
- 2 ヒ88J船団の概要
- 3 背景
- 4 編制
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