第3、第4、第5の哨戒 1945年3月 - 1945年2月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 01:00 UTC 版)
「ブラックフィン (潜水艦)」の記事における「第3、第4、第5の哨戒 1945年3月 - 1945年2月」の解説
3月6日、ブラックフィンは3回目の哨戒で南シナ海に向かった。3月28日、ブラックフィンは北緯12度37分 東経109度28分 / 北緯12.617度 東経109.467度 / 12.617; 109.467のインドシナ半島ナトラン湾北方で南号作戦最終船団のヒ88J船団を発見した。ブラックフィンが船団を発見した頃、先にB-24による攻撃が行われており、ブラックフィンは攻撃機会を待った。その時、第26号海防艦がブラックフィンの潜望鏡を発見し、爆雷攻撃を行った。爆雷はブラックフィンの至近で爆発し、そのショックで魚雷4本が誤作動を起こした。また、計器機器類や主機械もダメージを受け一部区画に浸水が起こった。ダメージの程度は大きく、ブラックフィンは哨戒を中止した。4月9日、ブラックフィンは36日間の行動を終えてフリーマントルに帰投した。 5月8日、ブラックフィンは4回目の哨戒で南シナ海およびタイランド湾方面に向かった。しかし、この頃には日本の主だった艦船はほとんど姿を消しており、この哨戒で戦果を挙げることはできなかった。5月21日にスービック湾に寄港し、補給と整備を行った後出港した。6月9日にはサイパン島に寄港。6月20日、ブラックフィンは31日間の行動を終えて真珠湾に帰投した。 7月17日、ブラックフィンは5回目の哨戒で東シナ海および黄海に向かった。戦争が終末を迎えつつあったこの時期、この哨戒でも戦果を挙げることはできなかった。ブラックフィンは救助任務にも従事し、ブラックフィンは哨戒中に終戦を迎えた後、61個の浮遊機雷を破壊した。9月5日、ブラックフィンは37日間の行動を終えてグアムアプラ港に帰投した。
※この「第3、第4、第5の哨戒 1945年3月 - 1945年2月」の解説は、「ブラックフィン (潜水艦)」の解説の一部です。
「第3、第4、第5の哨戒 1945年3月 - 1945年2月」を含む「ブラックフィン (潜水艦)」の記事については、「ブラックフィン (潜水艦)」の概要を参照ください。
- 第3、第4、第5の哨戒 1945年3月 - 1945年2月のページへのリンク